All the people
So many peopleThey all go hand in hand
Hand in hand through their parklife
すべての人が
とてもたくさんの人たちが
互いに手と手を取り合って
パークライフを進んでゆく
先に行っておく、本日はとても真面目な話をする。
昨今のコロナウイルス、皆様はいかがお過ごしであろうか。
私は先日のブログでも書いたとおり、大変、至極、退廃的な暮らしをしていた。
所謂、生きるとはどういう事か生理現象でしか理解し得ない状態だったのだ。
しかし、所属する国際法のゼミが忙しすぎて最近は深夜3時に寝て朝8時半に起きる生活を送っている。
もっというと、ある程度の社会性を兼ね備えた今、自室はある意味外界との空港のような役割を果たしている。(Zoomで部屋が映っちゃうし)
結果、部屋がとても綺麗だし、こまめに掃除をするようになった。
あと自炊をするようになった。 これは21年の人生の中で、革命のようなものである。
一度取得した生活習慣が変わると思っていなかった。本当に。
さて、本日はゼミで取り扱っているテーマについて覚書を残しておきたいと思う。
私がリーダーとなって進めている議題は
「平和の追求の為に、国家は国連に主権を委譲するべきか」
というものだ。
国連に主権を委譲する=国家は国家主権を放棄する(外交をしない)
=国家問題を世界で解決する
=世界政府、世界連邦ができる*1
非常に難しい。普段から国際平和の追求を考えていても、非常に難しい問題だ。
本議論の主軸は何点かに分けられるだろう。
①世界が目指す平和・正義の定義はなんだろうか。
②それらを達成する為の世界体制のあり方はどうあるべきか。
まず、①の定義が違うと目指す②も変わってくるだろう。
極端な話をする
①戦争がない状態こそ平和
②世界政府を作れば、世界から戦争はなくなる。
(内紛に関しては、国際的な警察が取締り、平等な世界法で罰する。)
ある意味、究極の理想論である。
世界が単一の「平和」で統一され、執行される。
(現代の国連体制が先進国ありきの平和感であるから、前者に対しては現在もある点はあるが)
世界政府の内側の人々は、「地球市民」として平等に扱われる。
地球市民として、画一化された義務と権利を有する事になるだろう。
昨今のコロナ問題もすぐに解決するだろう。
世界政府が完全にウイルス問題を一括管理してしまえば、中国・アメリカ・WHOをアクターとした論争は起こらない。
しかし、果たして「戦争がない状態」こそ至極の平和なのか?
戦争がなくても、文化的健康的人権的に個人が担保されるべきなのが平和ではないか?
国家の地域性や文化を守るべきではないのか?
そもそも、平和や価値観、正義感というものは独自にあるもので、
それを世界は相互的に認め合わなければいけないのではないだろうか?
世界政府状態は、とてつもない共産思想なのではないか?
非常に難しい議論だ。
国連が「平和を目指している」事に間違いはない。
しかし、アクターが多すぎて「平和の定義」が定められないし、国々が「独自の平和」を手放していないのが現状だ。
その為、現在の国連(特に総会)は強制力を有さない。
裁判所も法的強制力はない。核も拡散されていく。
イギリスのEU*2離脱問題は、国際組織のあり方に大きな影響を与えた。
所謂EU圏内でも平和や独自性を保つ事はできなかった。
一方で、今回のような疫病問題*3国際組織の強制力を問うものだと思う。
感染症対策も、個人の保証問題*4世界政府が行ったほうが圧倒的に効果があるし平等だ。
私の意見としては、世界政府には賛成できない。
実現も、宇宙人の襲来だとか究極の安全保障概念が生まれない限り、不可能だ。
実際世界政府が樹立されても、現在の五大国が力を握ることは簡単に想像できるだろう。
一方で、今の国連は強制力を有していなさすぎる。
国家の主権を委譲するとしても、所謂WHOやICJやICCに強制力を与える事。
国連総会における決議の発動を具体化・活発化させる事を提案する。
人類はParklifeを実現するのだろうか。
目標は掲げている。
間違いなく現在では理想論、机上の空論と化しているが。
It's got nothing to do with
Vorsprung durch Technik you knowParklife
「技術による先進」なんてスローガンは
何も解決できない
パークライフでは