わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

LAST TANGO IN PARIS

 

ーー人は孤独を克服できるのか


顔が崩れ、今にも部屋と同化・分離しそうな男女の絵から本作は始まる。
偉大なるフランシス・ベーコンによる絵画はまるで疲れ切った現代人の様だ*1

 

 

f:id:ka7788:20200622022647j:plain

 

ラストタンゴ・イン・パリ」(1973)の冒頭は、フランシス・ベーコンの二枚の絵画から始まる。

 

 

部屋に横たわる、椅子に腰掛ける、人間。

右手はスカートらしきものを履いているから、なんとなく女性だと予想がつくが断定はできない。

 

 

何が彼らを人たらしめるだろうか?

 

顔は乱れ、体はうねり、今にも部屋と同化してしまいそうだ。

 

その表情は読み取れないが、なぜか苦しくなるほど、彼らの疲弊さが胸に訴えかけてくる。何故だろう。

 

 

何故なのだろう?

 

私に訴えかけてくる感情はなんなのだろう。

 

おそらくそれはシンパシーであって、おそらくそれは私が彼らと何ら変わらないからだ。

 

 

では、何が私を人たらしめるだろうか?

何が、私を人と定義するのだろうか。

 

私は今にも、部屋と同化しかけている。

顔は崩れ、乱れ、そこにはカオスが蔓延っている。

 

私はそれがどうしても知りたい。

そのために、ベーコンのことをもっと知りたいと思った。

 

 

人の本質を描き出す魔術師、フランシス・ベーコン

彼はイギリスのイメージ現代美術の巨匠である。

 

1909年10月28日 に産まれ、 1992年4月28日にこの世をさった。

死因はある日突然訪れた、ありふれたな死だった。

 

あの偉大なる哲学家、フランシス・ベーコンは系譜を辿ると見つかる。

彼は哲学家の血を引き、そして男色愛好家としての血を引いた。

 

 

 

彼の絵画の特徴は、初期においては「自己の崩壊」だ。

 

例えば、彼の代表作ベラスケスの「法王インノケンティウス10世」の肖像にもとづく周作 におけるモチーフは「法王の叫び」である。

 

彼の手にかかれば、偉大なる法王すら叫びによる自己の崩壊=一人の人としての自我の再構築というタブーすら許してしまう。

 

f:id:ka7788:20200622024432p:plain

 

私がこの絵を初めてみたのは、中学生の時だ。

詳しい事はよくわからなかったが、「叫んではいけない」ものが「叫んでいる」様子を見て子供ながらに「ヒッ」と声を上げてしまったのを今でも覚えている。

 

 

後期の作品は、「肉体の衝突」に焦点が当てられる。

単純な肉体の断片、放置。

 

人の叫びという表象は、表情を超えて巧みに表現されていく。

 

 

 

さて、「ラストタンゴ・イン・パリ」に話を戻そう。

本作は、イタリアの偉大なるフィルムメイカー、ベルナルド・ベルトルッチによってディレクションされた。

ベルトルッチは、簡単に言えばフランス映画=ヌーヴェルヴァーグに強い影響を受けた最大の異邦人である。

 

所謂ベーコン崇拝映画なのだが、内容としてはベーコン後期の「肉体の衝突」要素が大きい。

 

劇中はほとんどセックスシーンで進んでいく。

二人の男女に名前などほとんど必要ではなく、ただただ机と椅子と、マットレスが存在する雑多な部屋で体を重ねていく。

 

 

f:id:ka7788:20200622030849j:plain

 

  

物理的な肉体の衝突という、映像的には陳腐で汚らわしいものを、見事ベーコンの世界に落とし込んでいるのは、撮影監督ヴィットリオ・ストラーロの見事な技術によるものである。

 

光、闇、光、影、日常に潜むそれらを使ってベーコンの絵画の表象にすり寄せていく。

 

余談だが、「ラストタンゴ・イン・パリ」は男女の映画だが、厳密にベーコンワールドを表現するならば、二人の人物は男同士だっただろう。

ベーコンはゲイで、確実に生殖的な意味で融合を果たすことができなかったからだ。

ありえない、それこそが、絵画に現れる虚無感を増幅させている。

 

 

さて、もう一度いうと、劇中の男女に名前はない。

厳密に言うと、必要ない。

ただ存在するのは「肉体の衝突」である。

 

何が人たらしめるか。

人は孤独を克服できるのか。

 

永遠のテーマだ。

 

それは他人に認めてもらうことか。

 

 

いや、違うだろう。

それはラストを見れば判断できる。

名前は必要ないし、彼らは体を介しても、決して完全に交わる事はできないのだ。

 

 

open.spotify.com

 

*1:ラストタンゴ・イン・パリ」評の冒頭。参考文献は私