Fashion! Turn to the leftFashion! Fashion!We are the goon squadAnd we're coming to town
ボウイの「Fashion」は ファッション を皮肉った曲だ。
ブランド着てるやつもうグッナイ。
別にブランドを着ていてもいいのだ。
全く問題はない。ヨンスが言ってるのはそうじゃない。
世界で名を馳せる有名ブランドやサロンには、それなりの金額にみあう歴史と尊厳がある。
問題は、いかにそれらを人々が理解し、身に着けるかにあるのだと思う。
ブランドには哲学がある。
例えばシャネルは女流デザイナーが新たなスタイルを生み出し、女性の社会地位向上を促した。
ケンゾーなんかは、ありのままのライフスタイルを生きることをポピーの花に例えている。彼はフランスで最も著名な日本人だそうだ。
私が面白いと感じたのは香水の哲学の例である。
香水は、つまり香りだが、香水に求められるのはただの香りに止まらない。
香りが、いかにそのブランドの信念やスタイルを表現しているかが大切だそうだ。
元祖香水ブランドのゲランの「夜間飛行」が未だに好まれるのは、そこに込められたある飛行士のお話に、人々が共感するからだ。
シャネルの5番があれほど高貴に感じるのは、人々が憧れを感じるからだ。
個人的にはシャネルの5番はおばさんくさい。香りだけならそう感じるけど、マリリン・モンローを思い浮かべればそんな事もどうでもいいし、なんなら威厳と尊厳を感じる。
ブランドが作られ、どのような信念でモノを作るのか。
つまり、スタイルや哲学に対し私たちはお金を払う。
身に付けるから、社会的アピールを買っているとも言えるだろう。
だからこそ、社会の人々は、ブランドがいかに社会問題に取り組んでいるのかに敏感だ。
モデルの人種差別問題や、ジェンダー問題が批判される所以はそこにある。
ブランドが有する哲学、付加価値にはやはり社会に認められるだけのポジションや経営方針、責任が求められるのだ。
そういったリベラルな思想、ハイソな思想が「トレンド」を作り、そして「スタンダード」になっていく。ハイブリッドカーだって、エコファーだって最初は富裕層の消費者意識だから。
巡り巡って私たちのような一般市民にも通用する社会的常識となっていく。
人気なものが、お洒落に見えるから、お勧めされたから、という理由でモノを選ぶのは恥ずかしい。
最も、お金を払って何もないただのあなたにとって「高いモノ」に投資をする事が最も恥ずかしい。
最近よく美術館に行くのだけれど、行く先々で写真撮影可能な美術館が増えているなと感じる。
私ももちろん記録として写真を撮る作品もあるけれど、本当に感じるのは、写真を撮る事が目的になりすぎて、作品本来の「生の息吹」を感じることに鈍感になりつつあることだ。
ふと我に帰って、じっくり作品鑑賞をすることを心がけている。
写真なんか、複製だ。
ネット上でいくらでも見られる。その場で感じることを感じられないものは馬鹿だ。
美術館のインスタグラムの投稿を見ると、まあインスタ映えな「自分と絵画」のポストが溢れていていたたまれなくなる。
彼らは本当に作品を見ているのだろうか。
今日行った美術館なんか、写真の美術館だったんだけど、「作品(写真という複製)と映る自分」の写真なんて、目も当てられないインスタレーションだ。
本当に自分が好きで、信頼を置くものを探そう。
私は未だに、高校生の時に見た、一度きりしか見ていない、ルドンの絵を鮮明に覚えている。
ルドンが、好きだからだ。