わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

今を生きて

 

 

私の黒歴史は、現在進行形である。

 

「私は大人だから」

と思っている人ほど、子供である。

 

そんな人に限ってしょうもないことで悩んでいたり、

人の悪口を言ったり、悪口の快感で自慰しがちである。

 

そんな人に限って、自分の生きている姿や

頑張ったことや、考えについてひけらかしたくなる物である。

 

「私は大人だから」

「私は人より優れているから」

 

という選民思想こそ、本人は満足していても周りから見れば芳ばしい。

 

いわゆる大学生って、こんなくだらない選民思想の寵児なのかもしれない。

大二病ってやつだ。

 

ここで私が敬愛するメンヘラ神(没)の名言を引用したいと思う

 

もうめんどくさいから、ぼくが苦手な部類の人たちは皆「私、自意識大学一般人とは違う学部ファッションキチガイ学科そんな自分が大好き専攻の勘違い学生でーーーす!!!」って最初に自己紹介してほしい。

 

どのサークルも「自分たちが1番大学で変わったことをしている変人集団です!!!!!」アピールで忙しそうですね〜〜〜!!!!!!!!!!

 

彼女が死んでもう6年も経つ。

衝撃的だった、いまだに彼女の死にとらわれている。ウケるよね。

 

もうね!!!

大学1~2年の時のストーリーを見ると香ばし過ぎて涙が出てくる。

恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 

まるで自分が世界の中心になったかのように、まるで俯瞰して世界を見ているかのように

何を食べて、誰と遊んで、何を頑張って、

今日起きたこと、私は誰かと違うこと、すごいこと、誰かに話したいこと

 

伝えることに必死だった、自分が人とは違う「私」だって

アイデンティティを確立することに対して。

 

普通の人間は高校生までにはそんなの終わるんだろうけれど、インターネットが人の距離を近くしたことが、精神の弱体化を招いている気がする。

 

そうしてある日大学生は、就職活動というイニシエーションにぶち当たる。

「私」は社会に存在する一つの駒でしかないことに気がつく。

社会の大きさに気付いて、大人になることを強いられるのだ。

通過儀礼

大人はとてもつまらない、私も直ぐそこまで来ているのかもしれないが。

 

 

しかし、そんな顔から火が出そうな恥ずかしい出来事も、当時の私にとっては薔薇色の毎日だったのである。

大学四年間は、全てが刺激的で、美しくて、楽しかった。

これは自信を持って言えるのではないだろうか。

 

思い出の基本原則は修正可能ということなので、その時楽しかった事だけでなく、

辛かったことまで美化してしまう点において、人は馬鹿だと思うけど。

 

確かに私の周りは楽しいことで溢れていた

 

直ぐに手を出してくる二男や

身を削って煙草を吸う男や

平沢進が好きな若者や

ガムシロをそのまま飲む女友達や

嘘の愛を上手に囁く男や

 

路上に転がった日々も

死ぬまで吐いた時も

なんだか背伸びをして大人を馬鹿にした日々も

 

そんなことを考えていたら、

大学生活が終わることが切な過ぎて、高松のホテルの風呂で一人膝を折って泣いた。

とても、すごく、少し、咽び泣いた。

どれだけご都合主義的なエモい()人間になっちまったんだ自分は。

 

 

でも、モラトリアムで何が悪いんだと思う。

何もないことなんて、なかったんだと思う。

何もないことから得ることはたくさんあると思う。

無駄はどこまで行っても無駄だという人がいるけど、何かを得ようと踠いて誇大化してしまう人間の方がどれほどアホらしいかと思う。

 

そんなことを考えていたら、実際、大学に入る前に想像していた大学生活を

全て私は手に入れた気がする。

 

だって、私は今でも4年前の春休みにアジカンを聞いて泣いた日のことをよく思い出せるからなのだ。

 

 

 

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