わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

コロナ禍の「パークハイアット東京」滞在記②

 

滞在から一ヶ月経とうとしてるとかまじ??

 

更新できてなさすぎて、備忘録の備忘録みたいになってるけど大丈夫かな、大丈夫か。

 

 

前回記事はこちら

ka7788.hatenablog.com

 

 

 

 

おやすみしたあと、実はうまく眠れなかった。

景気付けに白ワインを一本開けたからか、わからないけれど何回か目が覚めた。

 

11月後半の夜明けはもうかなり遅い時間帯になっている。

白むか白まないか、そんな空を眺めながらソファでうたた寝してみたり、

もう一度ベッドに戻ってみたり、いろいろしてみた。

 

何を考えてたんだろう。

多分、すごく充足したホテルステイで、これ以上幸せなことがあるのか心配になってたと思う。

若くして成功を手に入れたマコーレー・カルキンのように

若くして頂点を迎えてしまった初恋の輝きとか

今こうして過ごしている瞬間さえ、いつか失われてしまう大切なものなのであるように思えてしまって、とても切なかった気がする。

 

あとは、これは実際の話なんだけど、夜景っていうのは冬の日没後すぐが綺麗だと思う。

電通のおっさんだって、よく考えれば流石に終電前には帰っているものである。

いや、帰ってて欲しいな。

とやかく、都会の夜明けは、意外と暗いということがわかったのだ。

 

 

おはようやさん

微睡から覚めたのは確か6:40とかだったと思う。

 

本当は日の出の瞬間、太陽の光に包まれる大都会新宿を眺めたかったんだけど

流石に寝不足すぎて起きたら日が昇っていた。

 

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この日は若干曇っていたから、日の出の瞬間自体はあまり綺麗じゃなかったのかも。

これは、備え付けのネスプレッソを飲んでる様子。

これがさー、初めて使ったんだけど本当にちょうどいいサイズなんだよね!

いい感じに冷めて飲みやすくなるし、目覚めの一杯になった。

 

 

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パークハイアット東京のアメニティはえぐい事は前回も書いた。

飲み物に関しては、コーヒーマシンがあるのはもちろん、日本茶デカフェティー等何でもおいてある。

しかもベッドメイクの時間には全部補充されているのだ。

 

 

 

ワークアウト

友達が「カフェインを入れてから運動するとマジ痩せる!」とか変なこと言い出す。

そう、コーヒーを飲んだ後、ガチ運動タイムだったのだ、思い出した。

 

朝ごはんを食べる前に空腹のままコーヒーを注入して、出かけたのはもちろん二本目のタワーの最上階にあるプール!

 

前の日にちゃぷちゃぷしにきたけど、化粧を落としたくなかった為リベンジ。

本当にずっと泳いでるムキムキのおじさんとかしかいないガチな雰囲気なので本腰を入れて、150メートルくらい泳いだ。

 

昔水泳をならっていたけど、もう10年以上前の話なので、クロールを50メートル泳ぐだけでもかなりキツかった…。毎回息が切れた…。老化だ。

夏に宮古島に行った時も少しシュノーケリングや潜水をしただけでヘトヘトだったので、まじで鍛えようと思った。

(けどその後もちろんなにもしてない!)

 

ガチ水泳のあとは、下の階のスパへ。

これも昨日長時間入浴したりサウナ利用したりできなかったので1時間近くかけて楽しんだ。

とにかくスパがすげえんだ、本当に。どんなホテルも温泉も勝てないくらい。

 

スパにも備え付けのシャンプーやスキンケア類があるんだけど、これももれなく全てイソップ。

一本4000円くらいするんだけどなあ…。残念ながら化粧品が全て私の肌に合わず、使えなかったのが本当にショック…。

 

 

 

 

「ジランドール」での朝ごはん

 GOTOキャンペーンを使って何箇所か旅行に行ったけど、どの旅行でもホテルステイで一番楽しみにしていたのが朝ごはん!

朝ごはんのクオリティによって本当に1日の滑り出しも満足度も変わると思う。

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写真が有名なジランドール。

 

実は、宿泊前日まで、ジランドールでの朝ごはんは計画されていなかった。

その代わりにお部屋まで料理を持ってきてくれるはずだったんだけど、

コロナ対策の面で各所ホテルでビュッフェスタイルが中止されている為だ。

 

やっぱり朝はビュッフェに限るのでとても残念だったんだけど、なんと規制緩和でジランドールでのビュッフェが解放された日だった。

本当にラッキー!嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

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こちらが朝食。

・キヌアサラダ

・グリーンサラダ

・ハム

・サーモンのソテー

ギリシアヨーグルト

・ベーコンとソーセージ

・シリアル

・パン

・シャインマスカットデニッシュ

 

などなど。

季節によっても変わるみたいだけどこんな感じ。

これらがビュッフェで食べ放題。

 

あとはフレッシュジュースとホットドリンクのチョイス。

それに加えてメインの卵料理をオーダーできる。

オムレツとスクランブルエッグとエッグベネディクトあたりから選べる。

 

せっかくなので、名物のスモークサーモンエッグベネディクトとオムレツにしてみた。

オムレツは具を選んでオーダーメイドできるんだけど、中身の具も好きにカスタマイズできるのがいいんだ〜。

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シェアしたからちょうど二個でよかった!

全体的に、お肉よりもサーモンの方が美味しかったなあ。

何度もお代わりしちゃって、朝から1日分の食事を済ませるレベルで大量に食べた…。

死ぬかと思ったなあ

 

 

人生で最強の二度寝

 

なんとチェックアウトが13時という、なんともありがたいプランだったので

もちろん二度寝した。

 

朝ごはんを食べ終わったのが多分10時前だったと思うんだけど、部屋に戻って爆睡。

寝不足アンド運動後アンド満腹後だったから仕方がないね。

 

起きたら12時すぎでした。わろた。

大急ぎで荷物をまとめて、化粧をした。

 

洗面台も大きくて二人すわっても全然余裕。

急ぎつつもやっぱり化粧だけは手を抜けない。

普段から自分の顔と睨めっこしているから、最低でも15分はかかるんだけど

友達と化粧品を交換しながら語るのがやっぱり大好きだ〜

 

かわいくなりたいとか、目頭の形の話とか、しょーもない彼氏の話とか、昔の失態とか、どうにもならないことを語るのが女の子の特権だと思う。

女の子って本当に楽しい、CANMAKE TOKYO。

 

 

 

チェックアウト、そして下界へ

身支度が終わってついにチェックアウト。

深夜にうだうだ考えていたことや切なさが一気に押し寄せてきた。

さみしい、こんなに幸せすぎて、辛い。

 

ホテル自体が高層階にあるので、高層階でチェックアウトを済ませて、そして高速エレベーターで来た道を戻った。

 

ただただ、街よりも時間がゆっくりと流れ、全てが正しく進んでいく

都会の異世界、近くて遠い世界

 

前回私はこのようにパークハイアット東京を表現したけど、まさにこの通りだった。

ホテル全体がぬくもりと丁寧さと礼儀正しさで包まれた完璧な空間。

この摩天楼は、地上とはかけ離れた桃源郷でしかなかった。

 

だから地上についた瞬間、別世界であることを強く実感したのだ。

垂直真下の世界には、ただただ新宿の汚い風がどこからともなく吹いてきて、

11月の寒さのもとに私たちは曝されてしまった。

 

絨毯が敷かれたホテル内では聞こえなかった、かかとのヒールが鳴るのを、今でも虚しい音として思い出すことができる。

 

 

おわりに、回想録として

 

まず第一に、ホテルに感謝しても感謝しきれない。

ずっと憧れていたけど、GOTOがなければまず宿泊する事はなかったと思う。

 

大体、フランス旅行にどうしても行きたくて半年以上かけて鬼のようにバイトをして

ひもじい生活をして暮らしてきた中のコロナ禍と、就活疲れ。

外の世界に何も求める気力すら起きず、内向的になっていた私を外に連れ出してくれた。

 

 

こうやって二回に分けて書いてきたからわかると思うけれど、ホテルのサービスは、素晴らしいものだった。

朝夜ごはん、スパ利用に加えてお部屋まで大きくしてもらって、普通だったら考えられない破格で宿泊した。

普通に考えて、対価として金銭が見合っていないのだ。

 

こんな下人が宿泊していいのかと何度も不安になったけど、ホテルの方々の笑顔でそんな不安は吹き飛んで100パーセントホテルを楽しめた。

 

日本人の心情は察しと思いやり

だなんて葛城ミサトが言っていたけれど、本当にその通りだと思う。

もちろん、対応やコロナ対策は抜かりなく素晴らしかった。

 

とにかく五つ星ホテルに感動しちゃって、お礼メールまで送っちゃったんだけど

コロナが去っても、何年後になるかわからないけど、また宿泊する日が来ると思う。

完全にこのホテルの魔法にかけられて、ファンになってしまったから。

 

 

思う事はもう一つある。

 

楽しい思い出は直ぐに忘れちゃって、悲しい思い出ばかり覚えている

 

人間の本来の性質だと思うし、私の癖であると一ヶ月前に書いた。

もちろん楽しい思い出そのものは今でもちゃんと思い出せる。思い出せたからかけた。

 

だけど、その思い出はやはりある程度の切なさを帯びてきているのだと思った。

勝手にエモくしちゃってごめんね〜思い出。

まあ今となってはご都合主義の非現実主義者正義感マシマシであることを自覚しているのでなんでもいいんだけどね。

 

幸せすぎると、人は悲しくなってしまう。

四国やハイアットがそうだったように、この超絶モラトリアムに大してバイトもせずに

幸せを噛みしめちゃうと、自分の未来に絶望する。

 

だけれど、これからもきっと幸せはあるし、もっと自分は幸せになれると信じるしかないのだと思う。信じないと生きていけないんだと思った。

 

私はきっとこれから、もっと幸せになれる、そう信じて生きていきたいと思う。

 

コロナ禍の「パークハイアット東京」滞在記①

 

 

楽しい思い出はすぐに忘れちゃって、悲しい思い出ばかり覚えている。

 

私はハッピー野郎でもなんでもないので、すごく感傷的になってしまうし

否定的になってしまう。

 

「思い出の基本原則は、修正可能ということ。」

 

最近私は繰り返しこれを申し上げているが、本当に人の記憶というものは信用ならない。

悲しい思い出はどんどん悲しいまま、風化し再構築される。

 

ならば、とびきり楽しい思い出を文章に残しておくことが必要だと私は考えた。

今回私は、「パークハイアット東京」に宿泊してきたので、記録しておこうと思う。

 

 

 

パークハイアット東京

パークハイアット東京は、ハイアットグループの中でも最上級の5つ星ホテルにランクづけされている高級ホテル。

 

高校生の時に泊まった「ハイアットリージェンシーバンクーバー」や食事をしたことがある六本木の「グランドハイアット」よりもランクが上になる。

 

 

それは、西新宿にそびえる新宿パークタワーの41から51階に位置する摩天楼。

調べたらうちの大学のなんとかタワーのほぼ倍の階数がある。

 

つまり全ての部屋が超高層階にあるというなんとも贅沢なホテルなのだ。

 

建築はすぐ隣にそびえる都庁の設計もした丹下健三

三連タワーは中でつながっているので実質一本なのだが、最上階が三つ存在することになる。

 

完成したのは1994年ということで外資系ホテルの中ではかなり初期のものらしい。

 

そんなインターナショナルな雰囲気を持つこのホテルには、映画オタクとして特別な思い入れがある。

ソフィア・コッポラの2003年の映画「ロスト・イン・トランスレーション」の舞台になっているからだ。

ロスト・イン・トランスレーション : 作品情報 - 映画.com

 

「ゴーストバスターおじさん」ことビル・マーレイ演じるくたびれた名俳優と、スカーレット・ヨハンソン演じる若妻の、東京でのロマンティックな出会いを描いた作品。

 

初めて見たのは2年前くらい。

「東京」または「新宿」が持つ雑踏のざわめきや都会の冷たさ、そして「翻訳で失われる」感情や表現に苦悩し孤独を味わう二人に、とても深く感情移入をした記憶がある。

 

まあこんな感じで「高級ホテル」「映画の舞台」といったステータスに憧れつつも、まさか自分が泊まることになるとは思わなかったのだ。

 

コロナが流行するまでは…!!

ありがとう!GOTOトラベル…!!

 

かねてから行きたかったフランス旅行の夢が立ち消えた今、もうこれはいくしかないと思ったのだ。

都会の異世界、近くて遠い世界へ

 

 

チェックイン

 

当日は気合を入れすぎて、朝から銀座で髪を切り

カラーをして、追加料金のかかるトリートメントまでぶちかましてきた。

 

最高のコンディションである。

もうだって本当にずっとずっと夢だったから楽しみで準備してる時からワクワクしてた。

 

新宿駅から徒歩15分ほどということで、歩く気満々だったのだがまさかの友人が遅刻。

やばい!タクるか!

ドケチの私がタクシーを止めた、チェックイン時間から存分に楽しみたかったのだ。

 

ゆらゆらタクシーに揺られること3分ほど。

 

ParkHyattTokyo.JPG

 

でかすぎて見上げられなかったため画像は引用。

 

いや、タクシーで来てよかった本当に。

まず高級ホテルに宿泊するのが初めてなのがバレバレな滑り出しである。

ドアマンの人に荷物を運んでもらうにもあたふたである。

 

すぐに案内されて41階までの専用高速エレベーターに乗る。

ドアが開くと、そこは一番低いタワーの最上階「ピークラウンジ」が目の前に広がる

 

とにかく!開放感が半端ない!

きれいな写真がないんだけど、とにかくタワーの上が全てガラス張りになっていて、竹とか生えちゃってるので開放感が半端ないのだ。

 

テルマンに導かれてチェックインカウンターに向かう際も、いろいろ説明してくれる。

普段は富士山が見えるらしいが、前日はサイレントヒルレベルに霞んでいたためかなり空は霞んでた。(それも摩天楼感があってすごく素敵)

 

通路には、なにやらおしゃれな本が並ぶ「ライブラリスペース」。

有名なパークハイアットの名所。

 

このホテルは全体的にアートワークが多い。絵画とか難しそうな本とか。

ラグジュアリーホテル「パーク ハイアット 東京」で満喫する極上の眺望とリラックスタイム | Mondo Alfa

 

チェックインは席に通されてから、少し待たされた。

コロナ対策もしなければいけないし、その分宿泊者に説明したりソーシャルディスタンスを保つのもすごく大変から、かなり忙しいと思う。

 

でもホテルマンの方々は本当に物腰柔らかでフレンドリーな感じ。

緊張しつつも、この頃には少しずつ「都会の異世界」に場慣れしてきていた。

 

 

パークルームデラックスツインへ

 

一通りの説明がおわって、まさかのサプライズがあった。

「本日はデラックスルームをご用意しています」

 

!!!??

 

これか、俗にいう、アップグレードというのは。

元々、パークルームキングという一番安い部屋で予約していたのにも関わらず、「窓がでかい部屋がいい」というわがままでツインにしてくれとメールを送っていた。

 

しかも、「ドコモタワーがみたい」というわがままつきだ。

安いパークルームからは新宿駅方面は見えず、代々木公園方面なのを知らなかったが故、無知のわがままだ。

 

そんなわたしのわがままを全て聞いてくれた、もう本当に感謝でしかない。

感無量だった。もうその気遣いで私はもう満足しきっていたよ。

 

部屋の扉が開くまでの時間、もう興奮が止まらなかった。

 

お部屋の様子がこちら

 

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半端ないって、ドコモタワーが小さいって。

もうレベチで高い。

ドコモタワーと、都庁と、コクーンタワーと、東京タワーと、スカイツリーが全て一気に同じ部屋から見える。

 

正直泣きそうだった。

スカヨハが泊まった部屋じゃん。

 

1時間くらいずっと外を眺めていたと思う。

少しずつ変わる空の色とか、首都高をいく車の流れだとか、いろいろみてて全く飽きない。

もう興奮しすぎてあんまり写真がないんだけど笑

 

お部屋の中はかなりシンプルなんだけど、洗練されて無駄がない感じ。

ランクルームとお風呂とベッドルームに分かれてるんだけど、すべて引き戸でまっすぐ一直線になっている。

 

アメニティは全てイソップ。

綿棒からスプーンやコップまで何から何まで揃っている。

ウイスキーグラスから日本茶用、ワイングラスまで手の届くところにある。

 

コーヒーマシンはネスプレッソだった。

すごいや。

タオルは重量があるしっかりタイプで、バスローブが超暖かい。

 

もういろいろ探検してたら既に2時間近くが経過してた。

 

 

プール&スパ へ

 

コロナ対策で30分くらい待ったんだけど、日が落ちてから2個目のタワーの最上階45階のプールに向かった。

ここはクラブ会員か宿泊者限定の施設なんだけど、通常だと追加料金がかかるらしい。

今回は利用資格も込みのプランで予約したため、全てコミコミである。

 

全面的に撮影禁止だったから写真がないんだけど、本当にすごかった…

 

韓国ドラマのCEOがバタフライ泳いで水が滴ってそうな雰囲気よ…。

夜景を眺めながら泳いだり、ジムマシンを使ったり、最高の贅沢すぎて震えた。

髪を染めたてだったし、化粧を落としたくなかったので本格的な利用は次の日にした。

 

スパは噴水みたいなジャグジーが中心に、三種類のサウナが備え付けられている。

スパもすごいんだけど、更衣室がとにかく広い。

床がふかふかだし、コスメ系がすべてここもイソップで、使い放題。

湯冷ましのラウンジもあって、雑誌が読めたので一丁前にGINZAを読んでやった。

 

 

「ジランドール」でのフレンチ・ディナー

 

スパで少しスッキリした後はおめかしして41階の「ジランドール」へ。

今回は夕食と朝食セットのプランだったんだけど、なんと乾杯シャンパンまでサービスしていただいた。

 

・スモークサーモンとビーツのテリーヌ

・スズキのポワレ チョリソー風味

・鴨肉のロースト

・チョコレートケーキとほうじ茶アイス

・パン(食べ放題)

 

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お母さん、私外側からナイフとフォーク使えたよ。

細くて小さいバゲットみたいなやつ3回くらいお代わりした。

「お腹いっぱいになられましたか?」ってコネクトされたけど、そりゃそうだ。

多分バゲット一本分くらいは食べた恥ずかしい。

 

ジランドールからももちろん夜景が見れる。

夜景の見えない席は開放されていなかったから、ホテルの稼働率もそこそこなのかもしれない。

 

 


「ニューヨークバー」

 

ロスト・イン・トランスレーション」の中で二人が出会うのは、タワーの最上階の「ニューヨークバー」で。

マーレイが孤独の晩酌をしているなか、ヨハンソンと目が合うシーンだ。fresh

 

大人の雰囲気漂うバーが今回いちばんの楽しみで、すごくドキドキしていた。

 

エレベーターで向かい、ドアが開くと、照明が落とされ、夜景しか見えない空間。

そして響き渡る、本物のジャズミュージックが感じられた。

 

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シンガーとバンドによる生演奏。

初めてこういうジャズの演奏を聞いたかもしれない。

実際はもっと暗くて、異世界そのもので、異様な空気が流れていた。

 

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友人の「コスモポリタン

わたしは「ニューヨーク」を頼んだ。

 

おつまみに柿ピー空豆がついてくるんだけど、これがまた美味しかったんだなあ。

お腹いっぱいだったのに、お酒飲みながら演奏を聞いて、1時間くらいいたのかな。

 

大人の雰囲気すぎて浮かないか心配してたけど、そんなことは気にできないほど素晴らしい空間だった。

 

 

おやすみやさん

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「都市の空気は自由にする」ってずっと嘘だと思ってたけど本当かもしれない。

パークハイアットはもう、完成された摩天楼で、私たちは殿上人ならぬ天上人になった気分だった。

 

部屋に戻るとちらかしたベッドシーツやアメニティは全て揃えられていて、寝る準備は完璧だった。

最後にワインを飲みながら、いろいろ話したんだけどなんの話したか忘れちゃった。

たぶんどうでもいいけど、どうでも良くない話だと思う。

 

ただただ、街よりも時間がゆっくりと流れ、全てが正しく進んでいくように思われた。

 

この頃には12時をすぎていて、働くおっさんたちが作る夜景も少しずつ落ち着いていった。

都会もちゃんと眠るんだなと思った。

 

もうこの景色を見るのは最後かもしれないな、と思いながら夜景を目に焼き付けて、私も眠った。

 

 

②に続く(予定)

 

書を捨てよ、町へ出よう

 

 

かぞえている

ダンス教習所の二階の電線の上の

つぐみを

かぞえている

その日起こった殺人事件を

かぞえている

いままで変えてきた仕事を

かぞえている

生まれてから今日までに

ひとから貰った手紙の数を

かぞえている

拾ったことのあるお金を

かぞえている

家出してからの月日を

かぞえている

トルコ風呂に行った回数を

かぞえている

泣いた日を

かぞえている

新宿のネオンの数と欲しい本と

買いたいシャツとハイミナールと

行ってみたい国

かぞえられるものが

人生以上で

かぞえられないものが

人生以下だと思うと

洟がつまって深夜映画館の中で

膝を抱いたまま

泣けてきた                 (青少年のための自殺学入門、序詞)

 

 

 

寺山修司との出会いは、この序詞だった。

なんだか、私のことを話しているんだこの人は、そう思って胸が詰まったのを今でも鮮明に思い出せる。

当時の私は高校二年生、暗闇の中をさまよっていた。

熱狂的な寺山ファンの友人から借りた本が、「青少年のための自殺学入門」で

この本は思春期の私に衝撃的な真実を告げていった。

 

寺山ファンの友人は、かなりの多動である。

多分アスペルガーだし、今まで出会った友人の中でずばぬけてぶっとんでいて

ハロプロが大好きで道重命で、大森靖子をよくきいていた。

好きな漫画家は丸尾末広楳図かずお

仲良くならないわけがなかった、そんな彼女は芸大に行き、ゴールデン街のバーで働き、そして普通に就職してしまうらしい。

 

なんだかあれだけぶっ飛んでいた友人が世間一般の、所謂型にハマっていくのはかなり違和感がある。

私はどれだけ寺山を読んでも彼女のようにはなれないだろう。

 

 

寺山について書こうと思う。

このような衝撃的な序詞で出会い、それから数冊本を読んだ。

全く全部じゃないのだが、3~4冊は読んだと思う。

小説ではなく、随筆や歌集なので、文学ではあるのだがとなりで寺山が話しかけてくる、そんな感じだ。

 

私は今でもわすれられない。

それは高校二年生の春休みだ。

勉強に落ちこぼれ、大学受験に対して絶望していた時、

「書を捨てよ、町へ出よう」を一冊持って一人旅へと出かけたのだ。

京都へと向かう新幹線のことを、今でもよく思い出せるのだ、お金はなかったけど青春はそこにあった。

それから数年たった今、遠くに出かけることは叶わず、書物を手にすることしかできない今年の7月を悔やみながら本作の映画版を見た。

 

寺山曰く

「書物は情念を解説に堕落させるもの」

らしい。

 

ストイックに叙事的に書かれた物であれ、文学の力を最大限に叙情的に書かれた物であれ、

言葉は肉体を離れた瞬間没落していく。

肉体的な感情や心理を言葉にした瞬間、それは説明として、解説としてつまらないものになると。

だからこそ、その寺山の論理が通るのならば、説明的な映画は全くの駄作ということになる。

例示するならば私が最近見た中だと「華麗なるギャツビー」「劇場」「悪魔はいつもそこに」が挙げられるだろう。

これは全くの寺山の論理なのだが。

 

そんな意見を持つ寺山の映画は、全くの人の予想を超える物である。

「書を捨てよ、町へ出よう」が70年代のヒッピーカルチャーや青年期の性的衝動・ドラッグ等の自己破滅を描いた物であれば、

田園に死す」ではもっと原義的なものに立ち返る。それは自身の出生や女性蔑視やムラ文化、とりわけ寺山が育った青森の寒々とした空や恐山を舞台としている。

これらの作品は、究極の劇映画で、アート作品で、自己解放運動で、自己セラピーと言えるだろう。

解説は「解説」として機能せず、ただただ言葉が観客に投げかけられる。

それはある種のインスタレーションのように機能するのだ。

 

「自己セラピー」と呼ぶのには理由がある。

寺山は「田園に死す」でこのようなことを述べている

記憶というのは、所謂自分の操作によって裏打ちされているだけであり

映画人はそれらを自在に操れるようにならなければいけない。

 

最近で言えば、「TENET」のクリストファー・ノーランが映画の中で時間という概念を自由に操ったように、映画というのはまさに幻想である。

あたかも日常を切り取ったように見せかけても、それは全て作られたものであり、映画人はそららを自由自在に動かすことができるのだ。

 

自身の記憶だって人の中では不変のように見えて、実はぐにゃぐにゃだ。

「思い出の原則は、修正可能ということ」については前のブログでも触れたが、人の記憶力とその改変能力は想像以上に信用できないものである。

 

だからこそ、映画人は記憶というものをしっかりと理解し、自分の経験について整理をしなければいけない。

そうでなければ他人の、あるいは大抵は実在しない人物のぐにゃぐにゃの記憶や人格を紡いで一つの作品に仕上げるだなんて不可能だからだ。

 

だからこそ、寺山修司の作品は全て自己の体験に裏打ちされたものである。

 

海外の監督で言えばアレハンドロ・ホドロフスキー監督が代表的だ。

彼の「ホーリーマウンテン」「エル・トポ」は公開当時、その実験性ゆえに多くの映画人を動かした。究極的に自己を見つめ直し、映画に還元するというスタイルは寺山にも影響を及ぼしたとされる。

 

ホドロフスキー監督は紆余曲折あって映画を撮らなくなったのだが、寺山の死後数十年が経って、ある作品が公開された。

「リアリティのダンス」と「エンドレス・ポエトリー」だ。

これらは、私は完全に寺山の「田園に死す」が影響を与えたのではないかと考えている。

この二作はホドロフスキー少年が大人になる過程をファンタジックに描いているのだが、完全に寺山の手法と同じだからだ。

 

 

つまり、何が言いたいかというと、自分の記憶を棚卸し、再構築するという作業は神の領域であるということである。

自伝を書くこと、そこから堕落した解説にしない為に派生して新しく「映画」をつくることは一般人には不可能なことだ。

 

私は自分自身を知るのが怖い。

これだけブログを書いても、実際のところ自分のことなんか少しもわかっていないのだ。

就活の自己分析なんかはとてもとても、つらくて毎日涙が出そうだった。

 

しかし自分のことを理解することは世界との向き合い方を考え直すことにつながるのではないかと考えている。

人は一人では生きていけない。自分を理解してやっと他人の存在に目を向けることができるのだ。

ある程度自分をしることができれば、ハプニングが起こったりしても自分のことを相対的な観点から分析することができる。一種の悟りのようなものだ。

最近はそれが少しはできるようになった気がする。寺山のおかげだろうか。

 

 

 

 

東京

 

 

東京という街が、私は大好きだ。

 

生まれてから田舎暮らしをした事がないので、大都市の近くで育ち、遊び場も東京だった。

しかし正確にいうと東京で遊び始めたのは、大学に入ってからなので、実は田舎出身の友達の方が東京に詳しかったりする。

 

大学生活の思い出はやはり都会、東京中心だ。

 

東京と聞いて直ぐに思い浮かぶのはやはり渋谷のスクランブル交差点で、渋谷って本当に思い出が詰まった街だし、ホームグラウンドだなと思う。

椎名林檎大森靖子も新宿系を自称しているが、それなら私は渋谷の喧騒の方が好きだからこちらを選ぶ。

 

私、新宿が好き汚れてもいいの

 

私は渋谷が好きです。

あの喧騒がいい、汚さがいい。

学生と大人が良い感じに混じり合う、オシャレなかんじがいい。

誰もが時代の最先端で、その坂を登ったり、下ったりしている感じがいい。

 

東京といっても、街の汚さって本当に場所によって違うと思う。

集まる人は大して変わらないはずなのに、同じ日本人なのに、何故こんなにも街の色が違うのだろうか。

 

先日一年ぶりくらいに池袋に行った時は、人混みと治安の悪さ、気怠い中学二年生が頑張って足を踏み入れたアニメイトの香りがしてとても不快だった。

池袋にあまりいい思い出はない。

 

 

私が好きな渋谷を一言で表すと

「絶えず何かが転がっていく街」なんだと思う。

 

これはブンチリ出のパ○コの人に聞いた話なんだけど、渋谷っていうのは土地的にあまり良いところではないらしい。*1

 

「谷」とついているだけに、下水を始めとした様々なものが下ってくるそうで、縁起がよろしくないらしい。

住むならやはり世田谷方面で、高台らしい。

 

転がっていくのは物だけじゃない。

人も変わる、というか都心っていうのは基本的によそ者のまちだ。

渋谷に実際住んでいる人なんてほとんどいないだろう。

 

ここは東京

空を食うようにびっしりビルが湧く街

 

街の姿も日々変わる。

トレンドっていう消費者揺動の最先端を行き、数年もすれば思い出のカフェもなくなる。

残り続けるものもあるが、そのほとんどが何故か消えてしまう。

そして、消えてしまったものに対しての憧憬は何故か永遠に消えないし、美化される。

 

そんな事実に、たまに虚しくなる。

街に行くと、街の変化を感じて、寂しくなる。

 

しかし、何故か街の「雰囲気」自体は変わらないのだ。

17年前に公開された映画*2の「渋谷」はやっぱり私が知っている「渋谷」だった。

 

白熱電球のネオン版も、あの目が痺れるほどの光も

武富士の広告も、109の旧ロゴも

たくさんなくなってしまったが、やはり渋谷は渋谷だった。

 

フォーエバー21がなくなってイケアになったところで、やっぱり渋谷はこれからも渋谷なのだろう。

私が消えてしまっても、きっと誰かが転がり続ける。そんな街だ。

 

 

open.spotify.com

 

*1:ちなみにパ○コは坂を超えた宇田川町方面にある、宇田川町こそ私の青春

*2:ロストイントランスレーション

今を生きて

 

 

私の黒歴史は、現在進行形である。

 

「私は大人だから」

と思っている人ほど、子供である。

 

そんな人に限ってしょうもないことで悩んでいたり、

人の悪口を言ったり、悪口の快感で自慰しがちである。

 

そんな人に限って、自分の生きている姿や

頑張ったことや、考えについてひけらかしたくなる物である。

 

「私は大人だから」

「私は人より優れているから」

 

という選民思想こそ、本人は満足していても周りから見れば芳ばしい。

 

いわゆる大学生って、こんなくだらない選民思想の寵児なのかもしれない。

大二病ってやつだ。

 

ここで私が敬愛するメンヘラ神(没)の名言を引用したいと思う

 

もうめんどくさいから、ぼくが苦手な部類の人たちは皆「私、自意識大学一般人とは違う学部ファッションキチガイ学科そんな自分が大好き専攻の勘違い学生でーーーす!!!」って最初に自己紹介してほしい。

 

どのサークルも「自分たちが1番大学で変わったことをしている変人集団です!!!!!」アピールで忙しそうですね〜〜〜!!!!!!!!!!

 

彼女が死んでもう6年も経つ。

衝撃的だった、いまだに彼女の死にとらわれている。ウケるよね。

 

もうね!!!

大学1~2年の時のストーリーを見ると香ばし過ぎて涙が出てくる。

恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 

まるで自分が世界の中心になったかのように、まるで俯瞰して世界を見ているかのように

何を食べて、誰と遊んで、何を頑張って、

今日起きたこと、私は誰かと違うこと、すごいこと、誰かに話したいこと

 

伝えることに必死だった、自分が人とは違う「私」だって

アイデンティティを確立することに対して。

 

普通の人間は高校生までにはそんなの終わるんだろうけれど、インターネットが人の距離を近くしたことが、精神の弱体化を招いている気がする。

 

そうしてある日大学生は、就職活動というイニシエーションにぶち当たる。

「私」は社会に存在する一つの駒でしかないことに気がつく。

社会の大きさに気付いて、大人になることを強いられるのだ。

通過儀礼

大人はとてもつまらない、私も直ぐそこまで来ているのかもしれないが。

 

 

しかし、そんな顔から火が出そうな恥ずかしい出来事も、当時の私にとっては薔薇色の毎日だったのである。

大学四年間は、全てが刺激的で、美しくて、楽しかった。

これは自信を持って言えるのではないだろうか。

 

思い出の基本原則は修正可能ということなので、その時楽しかった事だけでなく、

辛かったことまで美化してしまう点において、人は馬鹿だと思うけど。

 

確かに私の周りは楽しいことで溢れていた

 

直ぐに手を出してくる二男や

身を削って煙草を吸う男や

平沢進が好きな若者や

ガムシロをそのまま飲む女友達や

嘘の愛を上手に囁く男や

 

路上に転がった日々も

死ぬまで吐いた時も

なんだか背伸びをして大人を馬鹿にした日々も

 

そんなことを考えていたら、

大学生活が終わることが切な過ぎて、高松のホテルの風呂で一人膝を折って泣いた。

とても、すごく、少し、咽び泣いた。

どれだけご都合主義的なエモい()人間になっちまったんだ自分は。

 

 

でも、モラトリアムで何が悪いんだと思う。

何もないことなんて、なかったんだと思う。

何もないことから得ることはたくさんあると思う。

無駄はどこまで行っても無駄だという人がいるけど、何かを得ようと踠いて誇大化してしまう人間の方がどれほどアホらしいかと思う。

 

そんなことを考えていたら、実際、大学に入る前に想像していた大学生活を

全て私は手に入れた気がする。

 

だって、私は今でも4年前の春休みにアジカンを聞いて泣いた日のことをよく思い出せるからなのだ。

 

 

 

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High And Dry

 

人類の淘汰について、思うことがある。

 

人が死ぬことは、いけないことなのだろうか。

とりわけ、自殺についてだ。

 

私は、いけないことだと思う。

 

これまで死は救済だと思っていた。

公的な意味なんて、自己の世界では何の意味を持たない。

誰がなにを言おうと、「自死」は「私の選択肢」だし

それこそ、誰になにを言われる筋合いもないから。

私が幸せでない世界なんて、それは世界ではないから。

 

でもね、それでも死は救済であってもね、いけないことだと思う。

人は、血の詰まった輸血袋ではない。

 

昔のブログで書いたように、私は三浦春馬さんの死に衝撃を受けた。

 

対して人生に重要ではなった人

偶像でしかなかった人

それでも幸せそうに見えた人

 

それらが、一夜にして、儚く消えてしまった事

命の尊さについて、深く考えることになったから。

 

私の身の回りにいる人が亡くなったと想像したことがなかった

死は近いものだ、と考えていたけれど思い違いもはげしい

確かに死は近く、絶えず、そこに存在している。

近すぎて、見えない。

自死であっても事故であってもいつどこで尊い命の灯火が消えてしまうかわからないから。

それに気がつかないことは、とても悲しいことだから。

 

 

人類の淘汰について、考えたいと思う。

 

うちのおばあちゃんは「なにがあっても死んではいけないし、先祖への無礼にあたる、戦争や病気でなくなった人、生きたくても生きられなかった人への無礼にあたる」

という。

 

まるで模範解答だけどね、うちのばあちゃんは続ける

 

「戦争時代は戦争、現代では現代、それぞれ時代の波についていけない人が死んでいく。遺伝子は時代の荒波に耐える強い人間によって紡がれてくの」

 

確かにそうだ、進化論的だ。

 

自死を選ぶ人を責められない私でも、納得ができる。

戦争がない今の社会。

人間関係や金銭、性的欲求に支配される世の中。

戦争がない、生きるしかない、苦しむか、苦しみ続けるかの世界。

 

誰もが苦しみを抱えている。

そこで淘汰されていくのはどんな人だろう。

 

わたしは、感受性が高くて、冷たいコンクリートのような閉鎖社会についていけない人のような気がしている、

 

とても、悲しくなってしまう、

 

人の人生や価値観、幸福度は変えられなくても、

そばに立って、温めてあげたいと思う。

 

 

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A・RA・SHI

 

 

躁の話をしておこうと思う。

 

 

私は軽い躁鬱を繰り返しながら日々暮らしている。

まあちゃんと自我があるし他人から異常だと言われないから病気ではないんだが*1

父が昔精神病を患っていたから、潜在的なものがある。

そもそも父方の血統が鬱家庭、母方の血統がアル中なのでまあなかなかのサラブレッドである。

 

つまり何が言いたいかというと、気分の浮き沈みの激しさは「思い込み」ではないということ。

自分でも「躁」と「鬱」を繰り返しているとわかるし、その切り替えがわかるし、何より本当に辛いし、鬱の時期は冷静に死を考える。

 

例えば、今までの鬱の期間と言えば高校一年生の春休み前後であったり、大学三年生の四月〜七月。

そのころの覚書がこちら。

ka7788.hatenablog.com

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自分の負の感情が抑え切れなくなって、周りに対して多大なご迷惑をおかけした。

でも、どうしても抑え切れなくて、辛いのは自分。

 

死にたいなとか、生きたくないな、とか生きていても意味ないなとか

私のことどうせみんな嫌いなんだ とか

そういうことをずっとずっとずっと絶えず、「私の中の私が許さない」と良く表現するけど、そういった状態。

 

私が幸せになれない世界なんて、存在していいわけないのに、私がそれを許さない。

 

 

躁の話をしておこうと思う。

残念ながら、私は今まで生きてきた中で一番幸せだ。

胸を張って、生きていて良かったなと言える。

 

「生きていて良かった」と言えることが、どれほど素晴らしく、そして私にとって恐ろしいことなのか。

 

それは躁状態のせいなのではないか。

精神が昂って、そう言わざるをえない状態なのではないか。

 

確かにここ数日は、非常に精神が昂って普段の状態からは考えられないほど元気である。

酒飲んで道端で転がり続けることも可能*2

 

しかし、今何も煩わしいことがないことが、影響を与えているという方が大きいのかもしれない。

バイトも週2だし、お金には余裕があるし、友達との関係も本当にうまくいっている。

友達に関しては、私自身僧侶みたいな質の良い暮らしをしていたら心が健康になって、滲み出る明るさが供えられたからうまくいっているとも言えるし、またはこの数年間積み重ねてきた私なりの人望(ここでいうのはいい人、とかそういうのじゃない個性)のおかげなのかもしれない。

 

 

果たしてこれは、躁状態なのだろうか。

単純に、幸せなのではないか。

 

単純に、今幸せなんです。って呟いてもいいですか?

 

そして、永遠に鬱が訪れないよう、祈りを込めてもいいですか?

 

 

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*1:「生きてるだけで、愛。」という映画を見れば、わかるけど、あれに比べれば本当に健常者

*2:本当に良かったな、と思うのが私に性的逸脱症状がないこと。