わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

書を捨てよ、町へ出よう

 

 

かぞえている

ダンス教習所の二階の電線の上の

つぐみを

かぞえている

その日起こった殺人事件を

かぞえている

いままで変えてきた仕事を

かぞえている

生まれてから今日までに

ひとから貰った手紙の数を

かぞえている

拾ったことのあるお金を

かぞえている

家出してからの月日を

かぞえている

トルコ風呂に行った回数を

かぞえている

泣いた日を

かぞえている

新宿のネオンの数と欲しい本と

買いたいシャツとハイミナールと

行ってみたい国

かぞえられるものが

人生以上で

かぞえられないものが

人生以下だと思うと

洟がつまって深夜映画館の中で

膝を抱いたまま

泣けてきた                 (青少年のための自殺学入門、序詞)

 

 

 

寺山修司との出会いは、この序詞だった。

なんだか、私のことを話しているんだこの人は、そう思って胸が詰まったのを今でも鮮明に思い出せる。

当時の私は高校二年生、暗闇の中をさまよっていた。

熱狂的な寺山ファンの友人から借りた本が、「青少年のための自殺学入門」で

この本は思春期の私に衝撃的な真実を告げていった。

 

寺山ファンの友人は、かなりの多動である。

多分アスペルガーだし、今まで出会った友人の中でずばぬけてぶっとんでいて

ハロプロが大好きで道重命で、大森靖子をよくきいていた。

好きな漫画家は丸尾末広楳図かずお

仲良くならないわけがなかった、そんな彼女は芸大に行き、ゴールデン街のバーで働き、そして普通に就職してしまうらしい。

 

なんだかあれだけぶっ飛んでいた友人が世間一般の、所謂型にハマっていくのはかなり違和感がある。

私はどれだけ寺山を読んでも彼女のようにはなれないだろう。

 

 

寺山について書こうと思う。

このような衝撃的な序詞で出会い、それから数冊本を読んだ。

全く全部じゃないのだが、3~4冊は読んだと思う。

小説ではなく、随筆や歌集なので、文学ではあるのだがとなりで寺山が話しかけてくる、そんな感じだ。

 

私は今でもわすれられない。

それは高校二年生の春休みだ。

勉強に落ちこぼれ、大学受験に対して絶望していた時、

「書を捨てよ、町へ出よう」を一冊持って一人旅へと出かけたのだ。

京都へと向かう新幹線のことを、今でもよく思い出せるのだ、お金はなかったけど青春はそこにあった。

それから数年たった今、遠くに出かけることは叶わず、書物を手にすることしかできない今年の7月を悔やみながら本作の映画版を見た。

 

寺山曰く

「書物は情念を解説に堕落させるもの」

らしい。

 

ストイックに叙事的に書かれた物であれ、文学の力を最大限に叙情的に書かれた物であれ、

言葉は肉体を離れた瞬間没落していく。

肉体的な感情や心理を言葉にした瞬間、それは説明として、解説としてつまらないものになると。

だからこそ、その寺山の論理が通るのならば、説明的な映画は全くの駄作ということになる。

例示するならば私が最近見た中だと「華麗なるギャツビー」「劇場」「悪魔はいつもそこに」が挙げられるだろう。

これは全くの寺山の論理なのだが。

 

そんな意見を持つ寺山の映画は、全くの人の予想を超える物である。

「書を捨てよ、町へ出よう」が70年代のヒッピーカルチャーや青年期の性的衝動・ドラッグ等の自己破滅を描いた物であれば、

田園に死す」ではもっと原義的なものに立ち返る。それは自身の出生や女性蔑視やムラ文化、とりわけ寺山が育った青森の寒々とした空や恐山を舞台としている。

これらの作品は、究極の劇映画で、アート作品で、自己解放運動で、自己セラピーと言えるだろう。

解説は「解説」として機能せず、ただただ言葉が観客に投げかけられる。

それはある種のインスタレーションのように機能するのだ。

 

「自己セラピー」と呼ぶのには理由がある。

寺山は「田園に死す」でこのようなことを述べている

記憶というのは、所謂自分の操作によって裏打ちされているだけであり

映画人はそれらを自在に操れるようにならなければいけない。

 

最近で言えば、「TENET」のクリストファー・ノーランが映画の中で時間という概念を自由に操ったように、映画というのはまさに幻想である。

あたかも日常を切り取ったように見せかけても、それは全て作られたものであり、映画人はそららを自由自在に動かすことができるのだ。

 

自身の記憶だって人の中では不変のように見えて、実はぐにゃぐにゃだ。

「思い出の原則は、修正可能ということ」については前のブログでも触れたが、人の記憶力とその改変能力は想像以上に信用できないものである。

 

だからこそ、映画人は記憶というものをしっかりと理解し、自分の経験について整理をしなければいけない。

そうでなければ他人の、あるいは大抵は実在しない人物のぐにゃぐにゃの記憶や人格を紡いで一つの作品に仕上げるだなんて不可能だからだ。

 

だからこそ、寺山修司の作品は全て自己の体験に裏打ちされたものである。

 

海外の監督で言えばアレハンドロ・ホドロフスキー監督が代表的だ。

彼の「ホーリーマウンテン」「エル・トポ」は公開当時、その実験性ゆえに多くの映画人を動かした。究極的に自己を見つめ直し、映画に還元するというスタイルは寺山にも影響を及ぼしたとされる。

 

ホドロフスキー監督は紆余曲折あって映画を撮らなくなったのだが、寺山の死後数十年が経って、ある作品が公開された。

「リアリティのダンス」と「エンドレス・ポエトリー」だ。

これらは、私は完全に寺山の「田園に死す」が影響を与えたのではないかと考えている。

この二作はホドロフスキー少年が大人になる過程をファンタジックに描いているのだが、完全に寺山の手法と同じだからだ。

 

 

つまり、何が言いたいかというと、自分の記憶を棚卸し、再構築するという作業は神の領域であるということである。

自伝を書くこと、そこから堕落した解説にしない為に派生して新しく「映画」をつくることは一般人には不可能なことだ。

 

私は自分自身を知るのが怖い。

これだけブログを書いても、実際のところ自分のことなんか少しもわかっていないのだ。

就活の自己分析なんかはとてもとても、つらくて毎日涙が出そうだった。

 

しかし自分のことを理解することは世界との向き合い方を考え直すことにつながるのではないかと考えている。

人は一人では生きていけない。自分を理解してやっと他人の存在に目を向けることができるのだ。

ある程度自分をしることができれば、ハプニングが起こったりしても自分のことを相対的な観点から分析することができる。一種の悟りのようなものだ。

最近はそれが少しはできるようになった気がする。寺山のおかげだろうか。