わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

Tomorrow Never Knows

 


離人感。
そういったものを久しぶりに感じる事になった。

先日やりきれなくなってコンタックをODすることになったのだが、二日経っても体と心が乖離する感覚を味わっている。


離人感とは、つまり世界と自分の境界線が曖昧になる感覚である。
ドラえもんは3mm宙に浮いている」というけれど、まさにそういった感じで、「私」という意識だけがふわふわと浮いている感覚になる。

 

ビックカメラを歩いていても、スターバックスラテを作っていても、人と話していても、客体は私とは別に存在しているのだ。主観的な「私」は3mm浮いたところでぼんやりとした自我を保ちながら世界を眺めている。

 

 

私はこの感覚を知っている。

再びこの感覚を取り戻した、という実感がある。

 

私は高校生の時に体調を崩して以来、軽い躁鬱を繰り返しながら生きている。

実は今も気分が落ち込んでしまっている期間で、安易にODに至ってしまうなど自我の弱さが露呈しているのだが。(私のジョージに近付きたいという思いは至ってポジティブであるが)

 

最後に圧倒的に思考の深み(Underground)に落ちていったのは大学3年生の4月から6月頃だった。

ka7788.hatenablog.com

いつも大体落ち込んでしまう季節が春に集中しているので、躁鬱体質であるが本質は自律神経の失調のように思われる、というのが私の分析なのだが、私は大学三年生の地獄のような春に離人感を味わった。

 

それは、全て気分の落ち込みから引き起こされたものであった。もちろんODしたりとかもしてたけど、全く当たり前に普通に生活していてそういう思考の深みに陥り、そして自我が浮いていく感覚というのを味わったために、非常に辛い思いをすることになった。

 

今考えれば、頭がおかしかったんだと思う。

そう考えれば、今私はとてもポジティブな気がするな。

自分の生理を、思考を、悩みを投げ捨てず、心理学や文学や音楽や宗教という先人の知恵と思考を用いて理解しようとしている…。

 

「考えすぎだ」と切り捨てる人も多くいるが、

それは私にとって、とてつもない努力なのだ。

 

どうしようもならないことを考えることは無駄なように思われるが、それができないからこうやって生にしがみついているのだ。

考えることをやめた時、自分を理解することをやめた時、私の3mm浮いた自我はふらふらと何処かへ飛んでいってしまうようなそんな気がしている。

 

 

Turn off your mind, relax and float downstream
It is not dying, it is not dying

 心のスイッチをオフにして、下流へと漂ってみて

 それは死ぬことでは、ないんだよ

Lay down all thoughts, surrender to the void
It is shining, it is shining

 全ての思考に蓋をして、「空洞」に身を委ねてみて

 それは輝いて、輝いているんだよ

 

open.spotify.com