わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

Where Is My Mind?

Where is my mind?
Where is my mind?
Where is my mind?

Way out in the water
See it swimming

 

なんて本?

落ち着いたら読んでみる

 

海辺のカフカ」を読んでいる、

少年が四国へと旅立つ話、自由を求めて飛び立つ話。

四国の穏やかな海を思い出した、秋、台風一過の晴天の海を、向こう側に見えたのは大分だった。

 

 

私はとにかく自由になりたかった。

理想的な街で育ち、理想的な環境で育ってきた、

何もかも自分で選び取ってきたという確固たる自信の中で。

 

理想的な環境、それは嘘だ。

少なくとも、自分にとっては最悪の環境だった。

 

何もかも自分で選び取ってきた、それも嘘だ。

いつもこれが世間の正解、というものを選びつづけていた。

本当に正しいことなんか、何もないのに。

世間の正しさを自分の正義感に照らし合わせていた。

 

 

とにかく「ここにいては自分が損なわれてしまう」。

15歳の田村カフカ少年が胸に抱いていた、空虚のようなものが私には22年間付き纏っていたのだ。

 

別の街にやってきた。

湖の香りは、なぜか潮の匂いがした。

生命の香りがした、私の住んでいた街と同じ香りがした。

東京湾に向かって大きな川が流れていく様子を眺めながら育ってきた。なんだか懐かしくなった。

 

 

4月が始まった初めての週末、私は深夜の4時に大声を上げて泣いた。

このままベルトで首を吊ってそのまま死んでしまおうと思った。絶望だった。

なんだか自分がこのままつまらないまま死んでいくのが、本当にどうしようもなくしょうもなく思われたからだった。

こう言った悩みが既にしょうもないのかもしれないが、その時は酔っ払っていたから、酔っ払い切っていたから。

 

 

本や映画に費やす時間が、大きく損なわれた。

サンクチュアリのようなものがなくなってしまった、そんな感じがした。

 

職場の人は私が今まで関わってきた文化とは無縁の人々、私が好きな物を何も知らない、私のことを誰も知らない街。

とても悲しくなってしまった。

 

 

そして何より、文化に触れないと、私が枯れていく。

そう、発作的に、本能的に感じた。

働いて、ご飯を食べて、寝ての繰り返し、

このままつまらない人と結婚して、つまらない人生を送るなんて嫌だ。

 

感情は、心はどこにあるのだ、いくのだ?

 

 

 

私はその時、ある人のことを思い出した。

大学四年生の時に私にプロポーズをしてきた人だった。

 

その人には、地方転勤の際にできた地元の一般職の奥さんがいて、つまらない結婚だったと言っていた。

だから、離婚するから私と結婚したいと言ってきた。

 

私は何もなかった。彼は確かに面白い人だったけれど、好きではなかった。所詮営業職にありがちな、お金と偏見にまみれた「つまらない大人」の象徴だった。

 

私はその時完全に理解した。

会社の、社会に対する嫌悪は「つまらない大人」で溢れていたからだった。

 

そしてまた思った。彼は私のことではない、私が秘める少女性を愛していたということを。

何か文化に触れて、忙しく好きなものを求めて、「決まり事」に縛られない自由奔放な少女性、そう言ったものに憧れていたのだと。

 

その人との関係は私が一方的に断ち切る形で終わった。彼はもう失われてしまった。失われるべきだったと思う。人生の通過点。

 

 

死にたい夜を乗り越えて私はまた、案外絶望でもないなと思った。

つまらない大人にならなければいい。

どれだけ身を削っても、好きなものを好きなままでいればいい。わがままでいればいい、自分を失わなければいい、永遠に17歳でいればいい。

 

だから本を読む、毎日掃除機をかけるし、自分が好きなもので世界を溢れさせる。全ては彼が言っていた通りだった。

 

大切なことは全てユズヒコが教えてくれた。

都市の空気が彼を壊してしまっただけだった、そう思う。

 

彼も既に失われてしまったが、ただの通過点ではなかった。

電車のポイントを切り替えるように、一直線に私の人生は別の方向に落下していった。

これからは再生の物語である。

 

 

大丈夫、私はちゃんと生きていける。

この街はちゃんと、生き物の死骸の香りがするから。

 

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