わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

勤めるリアル

 

 

就活が嫌すぎて、色々ぐだぐだして何社も落とされて

精神が崩壊すると思いきやそうでもなかった一年前を思い出す。

 

結構その時のブログとかよく見返すのが好きで、

就活を終えた一年前を振り返りながら自己分析をしている。

 

 

一年前の私が色々とうまくいかなかった理由は、明確に存在する。

何度も何度も考えたし、何度も言及しているけれど、

生きている意味がわからなかったからだ。

自分が幸せになれる自信がなかったからだ。

端的に、言うと人生をなめていた。

 

 

「働く」ことは生きることだ。

働くことでお給料をもらう。

人は生きるために、ありとあらゆるサービスに、お金という対価を払う。

まずそれを理解していなかった。

 

一年前の私は、そもそも生きる意味がわからなかったので

お金をもらう理由もなかった。

 

「生きる」上でのやりがいを仕事に求めようとした。

趣味に関連する仕事を探してみた。

しかし、やはりそれ以上に生きる意味がわからなかった。

好きなものの為に、先行き不透明な自分の未来と、自分の生理を犠牲にすることができなかった。

私の中の「好き」はその程度のものなのか、ととても情けなくなった。

 

つまり、私は「周りが就活をしているから」という流れに身をまかせつつも「やりたいことはない」「そもそも生きていたくない」という泥沼にはまっていたのだ。

 

生きていたくない、生きている意味がない

そう考えるのは自分が幸せになれる自信がなかったからだ。

そもそも就活をする上で自分にとって何が幸せなのか、見極めることができていなかった。

 

「やりがい」が幸せなら、辛くても夢のある仕事をするだろうし

「安定」が幸せなら、公務員を選ぶ

 

そう言った風に、できなかった。

仕事をある程度神格化していた、そもそも、自分が働くということを、自分のこととして落とし込むことができていなかった。

 

 

就活が一巡した5月ごろにゼミの教授からアカハラにあったり

暇つぶしでやってたTinder男に振り回されたり

自分が気がつけば就活の持ち駒がほぼゼロになっていたことに気がつく。

 

そういったことをされて、起きて、起こしてしまって

とても自分が傷ついていたことに気がついた。

 

おかしい、何かがおかしい。

自分の心にヒビが入る音が聞こえた。

 

すごく、頑張ってもがいている、確かに就活は真面目にやっていなかったけれど

どう考えても、自分がこんな辛い思いをする世界はおかしい。

そういう風に考えた。

 

こうやって生きている事が辛くて死んでしまいたくて、

でも立派に傷つくということは、なにか生命の、自分の中での最大限の抵抗のように感じられた。

そんな自分をもう少し信じてあげてもいいんじゃないか、そう思うようになった。

 

 

6月になり、もう一度自分の生きる意味を、生きがいを精査してみた。

それは、全てのしがらみから逃れて、とりわけ、実家から離れて。

家族や血縁の呪縛から逃れて、自立すること、自分の幸せを律する事だった。

その為に、一人暮らしが必要だと考えるようになった。

 

お金は必要ないといったが、やはりひとり暮らしをするには金がかかる。

実家を離れるということは、金銭的にもかなりきつい。

だから住宅保証がどこよりも優れている会社を選んだ。

 

職種に関しては、私は元々仕事とプライベートを分けたい人間だから、仕事だったらなんでも仕事と割り切れると思っていたので、辛い営業職もそんなに苦ではない。(いまのところね)

 

全て自分の手の届く範囲で色々と頑張ってみる。

何も他人に口出されたくない、テリトリーを作る、何事も。

それこそが自分の幸せだ。

 

就活をしている時、人は大抵「これこそが幸せで、これこそが自分の天職だ」と信じて疑わない。

それがミスマッチしてしまう人はたくさんいるだろう。

憧れていたからこそ、ギャップに心を痛めてしまう。

(私は全く今の業界に興味がなかったからそういうのが一切ないけど)

 

それは本人のせいでも、会社のせいでもあったりなかったりするのだろうけれど、私は多分適当に選んだ会社で、自分をすり減らしていく行為をしていたら今頃多分生きていないと思う。

 

傷つく前に選んでいた会社は、正直今の自分の理想や幸せとはかけ離れている。

結局自分に合う会社を、自分が歪めて「合う会社」にしていただけなのだと思う。

 

だから、一年前、たくさん傷ついていて良かったなって思っている。

今は胸を張って、今とても幸せだと言い切れる。

 

 

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