【身の上話】
結構カルチャーには触れているんだけど、多分自分で見たり発信するよりも他人の意見に触れている時間の方が長い。
そろそろやめようと思う。
珍しく音楽と映画と本の話をします。
「タートルズ、なんて名前をバンド名に名づけるのは馬鹿げている」
と村上春樹が言っていた気がする、多分『ダンス・ダンス・ダンス』だったと思う。
実際、タートルズの「Happy Together」もかなり馬鹿げている曲だと思う。
Imagine me and you, I do
I think about you day and night, it’s only right
To think about the girl you love and hold her tight
So happy together同じように、想像してごらんよ僕ら2人を
一日中君のことを考えてるのさ、当然だよね
愛する女の子のことを想って、強く抱きしめるんだ
だから、一緒に幸せになろうよ
どこまでも馬鹿げている。
世の中単純に上手くいかないのだ、私のことが好きな人のことが私は好き、好きな人を抱きしめたい、キスしたい、という単純な思考ができない。
それは置いておいて、
とにかく、何よりも、キスをしたりセックスをするよりも、
言葉等、見えるもので愛を表すってすごく難しいと思う。何よりも、それが嘘偽りないということを証明することが。
実際、「Happy Together」という曲名は、ウォン・カーウァイ監督の「ブエノスアイレス」(1997)の原題になっている。
残念ながら、「ブエノスアイレス」(ここでは分かりやすく邦題で)はそこまで単純なストーリーではない。
好きだから、愛しているから、一緒になろうよなんて物語ではない。
あらすじはこうだ、
あるゲイの香港人カップルが様々なものから逃れてアルゼンチンはブエノスアイレスに逃げ込む。1人は献身的に恋人を愛する、1人はその愛からすり落ちていくように人々を誘惑する。いずれ恋愛関係は破綻する、しかしまた惹かれてしまう。
美しいものでは無い。
仕事もせず恋人の金で生きているのにフラフラするヒモをレスリー・チャンが演じているのだが、私が知る限り2人が素晴らしく愛し合っているシーンなんてほとんど存在しない。
初っ端の、中年前の男性のセックスシーンなんか生々しくてぎょっとするほど。
前編を通して描かれるのは、愛という名の執着に取り憑かれた、かなり無惨な姿だ。
ストーリーも突飛だ、突飛すぎる。
お金で揉めて、恋人と「そうだ地球の裏側に行こう」と高飛び、挙句の果てにブエノスアイレスでタンゴを踊り出すのだから。
突飛なのだ、この監督ウォン・カーウァイ。
「どこか遠くに行きたい」「何もかも壊したい」という願いはウォン・カーウァイ作品には欠かせない。
これまで作品を何本か見ているが、現実逃避としてのトリップはよく見られる展開だ。
「恋する惑星」(1994)ではカリフォルニア、「欲望の翼」(1990)ではフィリピン、そして評価が高い「花様年華」(2001)ではカンボジアのシーンが大きなカタルシスをもたらす。
そしてもうひとつ。
「ブエノスアイレス」は98分の作品だが、実は67時間分ものフィルムが存在する。
撮影は長期間に渡ったのにも関わらず、そのほとんどがカットされており、中には出演が全カットとなった出演者もいる。
キャスト側からしたらいい迷惑だが、巨匠ウォン・カーウァイのもうひとつの特徴がこの破壊的撮影方法とシナリオなのだ。
脚本はあってないようなもので、フィルムをツギハギした後に再度切り取っているのと同じ。
他作品でいえば、そもそも「天使の涙」(1995)が「恋する惑星」(1994)に入り切らなかったストーリーだとか。
とにかく、
「そんないい加減な映画を誰が見るんだ」
「面白いわけない」
普通はそう思うだろうが、実はこれが面白いポイント。
最初にも言ったが、単純な恋愛なんて存在しない。1から10まで人の心は上手く決まらないのだから。
そんな支離滅裂な愛の行方を再現するのには最適なのかもしれない。
普通では考えられない手法でも、「面白い」「なんかわかる」と心に強い印象を残してくる。
これこそウォン・カーウァイのなせる技なのだと、世界的に評価される理由なのだと思う。
もちろん、撮影監督クリストファー・ドイルの技量も外せないのだが、語り出すと止まらないでやめておく。
美しく正しい愛が見たいのなら他にでもいくらでもある。
偶然の産物、破壊から生まれた産物、そういったものを見せてくれるのだ。
*1:これは個人的感想だが、タンゴを踊り出す映画には名作が多い。「ラスト・タンゴ・イン・パリ」「セント・オブ・ウーマン」等