わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

猟奇的なキスを私にして

 

それを分け合って

誰と向き合うの?

 

ありがたいことに人生がうまく回っている。

 

学生時代、自分の幸せや自分の幸せの捉え方に満足がいかなかった私はずっと堂々巡りで悩み続けていた。

 

正しさをどこに求めるのか?

いや、どこにも求めなくていいのではないか、ということに気がついた。

 

私は過去の恋愛で酷く傷ついてしまったことを真に理解したし

逆に言えば、理解することでしか前に進めなかった。

誰か他の男で埋めようとしてもダメで、そんな自分が気持ち悪くて、逃げ出した。

 

結局中途半端なまま他人を求めても誰かを傷つけてしまう

そして自分も自分が嫌いになってしまう

 

それなら、とことんひとりになってやろう、そう思ってからはわりと心が楽になった。

自分を幸せにできるのは、やっぱり自分でしかないからです。

 

 

最近の話。

ありがたいことに人生がうまく回っている。

私はとても幸せだと思うし、理解もしている。

精神的に安定した状態が一年近く続いている。

 

長い長いトンネルを抜けた先で昼寝をしているのだが、

最近、この幸せを誰かに分けてあげたいという気持ちが昂ってきた。

 

それは、救済ではない。

シンプルに、単に誰かに喜んでもらいたいと思った。

 

もっと言えば

「誰かを幸せにしてやろう」

という心持がないととても恋愛なんてできないと私は思った。

 

「誰かに幸せにしてもらいたい」

という思いは自分を破滅させる

勝手に期待したり、勝手に絶望するほど心が擦り切れてしまうことはない。

 

私は誰かの天使になりたかった。

誰かの笑顔が見たかった。

あくまで利他的な、自己満足として。

せめてもの愛で、慈悲で、アガペーで、包み込んであげたかった。

 

 

 

それで、先日少し面白い出来事があったので残しておきたいと思う。

ティンダーで出会った童貞くんの童卒を手伝ってあげたのだ。

本当に、本当にありがとうと感謝をされた。

私は何も人助けをしたという気持ちは全くなかったし、むしろ自分が救われたようなきぶんになった。 

 

というのも、自分の体を差し出してこんなにも嘘偽りなく「ありがとう」だとか「かわいい」だとか「気持ちがいい」だとか、そう言われたのが、初めてだったからだ。

 

そこには、性愛や下心のような醜いものからは遠く離れた、美しい交わりがあったかのように思われた。単に、人から溢れ出す言葉の純粋さ、その煌めきにシンプルに感動してしまった。

 

シンプルに感動してしまったし、なぜこんなにも単純な喜びを、喜びとして受け止めることが今までできなかったのだろう?と思った。

 

自分に自信がなかったからかもしれない。

自分に対する称賛は、全て媚びや嘘のように聞こえた。

 

そして、これまでに人に大切にされたことがなかったからかもしれない。

人に大切にされるのが怖かったし、今まで蔑まれること、自分が我慢をすることは当たり前だと考えてきたからだ。

 

人から溢れる美しい言葉を、美しいと、受け止めたいと私は思った。

流れ出た言葉が空気中を漂う際に、バイアスや価値観に歪められないようにそっと手で包み込んでしまいたい、

私は美しいものを探すために生きているのだから、

 

そう思った。

そして、一人思い出して泣いてしまった。

 

本当に、本当にありがとうと感謝をしたいのは、実質のところ、私なのである。

 

 

「私やっぱ一人で生きてくわ」って冗談だろ?

 

 

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