『自己肯定感が低い』
という事実を受け止めてみよう。
自己肯定感を高める必要はない、と言うよりかは
25年間生きてきて、今から自分の内面を大変革するなんて到底無理なので、現実を現実として受け止める以外に手段は無い。
『自己肯定感が低いから自分はダメなのだ』
という意識がさらに自己否定感を加速させている気がする。
自己肯定感が高い人間と同じフィールドでやり合うことは、相手にとってかなりのアドバンテージがあるので、やめた方がいい。
この世の大抵の事は、自己肯定感が高い人間の方が上手く事が進む。
もっと上手く言えば、自己肯定感が高い人間にとって「上手くいく」も「上手くいかない」も、関係ない。
圧倒的に自分を庇護してくれるこれまでの環境と、環境に慣れた自分がいつまでも存在してくれるので。
「自己肯定感が低いなぁ〜自分。」
と自分を卑下することは今までたくさんあったのだけれど、
「なぜ私は自己肯定感が低いのだ?」
と逆張りに人生を深掘りする機会は少なかった。
なぜなのかは過去に回想しているのだけれど、
主には
①顔面へのコンプレックス
②小学生の時、勉強ができなかったこと
③運動神経が低すぎてスクールカーストが低かったこと
④なぜかいつも友達からハブられてたこと
①.②に関しては努力(物理)と努力で少しは克服できた。
③に関しては、歳をとるにつれて運動する機会が減って比較対象=自己を卑下する機会が減ったから気が付かなかった。
最近気がついた、あと少し運動することが楽しくなった。他人と比べなければ。
④に関しては、よくよく思い出すと、シンプルに性格が悪いことを幼少期から自覚していた。
すごい性格悪かった、
知らない子の悪口が描かれている悪魔の手紙が落ちていたのを拾って、わざとその子に渡したり(ひどい)
うるせーやつにはうるせー正論でたたかっていた。変にませていたのだ。
そりゃ友達いなくなるな。
ということを、理解している…
でも、今は過去の自分だと納得した方がいい…。
人間は誰しも変わらない部分があるけれど、
なんとか自分が困った時に自分の嫌なところを治せると信じている。
信じるしかない。
それが忘れること、でもいいじゃないか。
自己肯定感がないことを理解して、もうさっぱり諦めちゃえばいいのじゃない。
大森靖子もカネコアヤノもすきだもん。
忘れることは、生きること。