わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

The Godfather

 

電子の波を漂う、残酷な言葉や噂が

面白おかしく流布されていく現状に耐えられず

X(旧Twitter)を一時アンインスールした。

仮想敵と戦わないことを選んだ、少し心が軽くなった。

 

いい加減な奴らが、言いたいことを言って人を傷つける世界で

「言いたい奴らには言わせておけばいい」と思って生きていけばいい。

私に間違いなく必要なのは、精神的な喜びであり

それは文化的な生活と、愛すべき人と過ごす他愛のない時間である。

 

出来る限り自分の考えていることや感じたことを記録に残しておきたい。

それが私の何か、愛した記録になれば良い。

 

父の話をする。

父はコッポラの「ゴッドファーザー」が好きなのだけれど、私は一緒に見たことはないし、

もっといえばドンコルレオーネが襲撃された後はいつも寝てしまって、

ゴッドファーザーの1を最後まで見ることができた試しがない。

でも、イタリア近郊のマントンのプロムナードで、ニーノ・ロータのテーマを聞いたのは

なかなか味わい深かったな。

 

よくよく考えれば父から映画を見ろと言われたり、同じ作品を一緒に見たこともあまりない。

何か教えられたこともないのだけれど、行き着く先が共に「映画」であった。

それってとても運命的であるし、家族だなあと感じる。

 

今年のお正月も、そしてこれからも父と母が共に過ごすことはないのだが

父は父なりに父をやっている。

出来合いのお節の具を買い集めて、お重につめてくれるし

かつて母と共に行っていたように、年末年始の買い出しは1日がかりである。

私が食べることを想定して大量のポテチを買ってくれる。

 

中でも心地が良いのは、気を使わないということだ。

私は神を信じていないけれど、わざわざ信じないことを強調するべきではないと思う

だから、イベントとしてのクリスマスもお正月もそれなりに楽しもうと思っている。。

だけれど、1時間以上も並んで初詣をしたいとは思わない。

神社の目の前までいって、お賽銭もせず遠くから参拝をし

ミスタードーナツを買って帰ってきた。

 

何もお正月らしくない、神に背くような儀式だが

それが許される、というのがとても心地よい。

フリーダムである。それでいいしそれがいい。

これが家族なのだなあと、思うまで私には24年の月日を要した。