わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

今日までそして明日から

 

自己肯定感が低い。

 

という問題に対して、真剣に向き合って、ある程度の最適解を見つけざるを得なかった就職活動期から早三年だが、

私の実存的危機はまだ一部しか解決されていないのだろうと思う。

 

人格形成に問題がある。

1番目の子供だったから「かわいいかわいい」と言われて育ったけれど、

明らかに三年後生まれた弟の方が可愛かった。

小さい頃は比較対象が限定されるから、弟のことが憎くて憎くてたまらなかった。

 

より一層問題と化したのは、小学校だったと思う。

私たちが小学生のころ大抵「足の速い子」がチヤホヤされた。

次に「頭がいい子」。

あとは手がかかるから可愛くて「先生のお気に入りの子」。

合唱の時に「ピアノが弾ける子」もポイントが高い。

みんな何かしらすごいところがあって、人より秀でているとチヤホヤされる。

秀でると言っても、それはそれで小学校という小さなコミニュティなのだが、子供にとっては大きな社会だった。

 

私は小学校2年生の時には全く九九が覚えられなくて、先生に見せしめにされたことを今でも覚えている。

結局その時、アカハラ的な先生からのプレッシャーで摂食障害になってしまったのだが。

 

運動に関しても全くダメで、他人に迷惑をかけてばかりだったし笑われてばかりだった。

よく考えれば二重跳びも逆上がりもできなくて、入部したバスケ部は一年でやめてしまった。

 

音楽も、吹奏楽部に入ったのにもかかわらず、集団行動へのプレッシャーと、才能の無さに気がついて一年でやめてしまった。

 

長続きしたことといえば書道くらいで、一度集中してしまえば一二時間はすぐ経過したように思われた。

他人を気にしなくていいからな、自分で一人で集中できるっていうのがすごくいい。

 

 

何もできなくても努力をしていなかったわけではない。

色々比較対象になる中で、勉強に関しては苦手な数学を全捨てし、得意分野を伸ばすことである程度なんとかなった。

その結果ある程度の大学に進み、ある程度の社会への絶望をかかえながら、なんとか自活できている。

 

そもそも一人暮らし自体が完全に自己完結の場であるから、もう他者に怯えながら生活する必要はない。

仕事だって、一から十までランキングがつけられる超競争社会の営業職だが、「お金をもらっている」という最大のメリットには勝てないよなあ。

 

色々考えていると、ほんとうに自分は人間が苦手なんだな。

仕事以外でメリット、デメリットを考える人間関係は持ちたくないし、

他者からプレッシャーを受け続ける生活はキツい。

 

部活だって、あんなに自分の時間を費やして「自己満足」だなんてアホくさい。お金くれないとやりたくない。

日本の部活文化(特に小中学)だいぶ歪んでいると思う。

みんなプロを目指す訳じゃないんだから、楽しくやればいいのに。

 

 

ちなみに、小学生の時「先生のお気に入り」で「ピアノが弾けた」あの子、それなりにいい高校に進んだと聞いていたけれど

結局大学で同じになった。

だいぶ鼻につくやつだったので、彼女に何度も自己肯定感をゴリゴリ削られたけど

しっかりと飲みサーで暴れているという話を聞いて安心した。

 

人生なんて、どこでどうなるかわからないのに、

幼少期の劣等感を一生引きずっている生き方はかなり辛い。

もしも自分に子供が生まれたら、なんて考えてしまうけれど、

甘やかす、なとは違う、優しさで包んであげたいなと思う。