わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

街へ出ようよ

 

『花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ』 井伏鱒二

 

 

春は旅の季節である。

個人的に。

 

人は、出会った時から、すでに別れている。

別れという一直線の結末に向かって、遅かれ早かれ進んでいく。

春に咲く花の運命が、散りゆく以外に無いように。

 

 

ならば私は、誰も知らない場所に行きたい。

別れが世の常だから、

それは私にとって辛すぎることだから。

それを受け止めなくてはいけないのが、人生だから。

旅では、別れを受け入れ、むしろ別れるために出会いたい。

 

私のことを知らない街に行きたい。

もう2度と会うことがない人に出会い、

好きな音楽を聴いて、少し涙する、

でもそれもすぐに忘れてしまうのだろう。

お酒を飲んで、空を見上げたい。

空も雲も吹き抜ける風も、1秒先にはもうお別れしているけれども、

そんな刹那的な人生を抱きしめていきたい。

 

そんな季節は、決まって春である。

 

 

私は今名古屋に来ている。

一人で旅に出てきた。

 

立ち飲みビストロでワインを三杯ほど飲み、寒空の下ショートドリップを飲んで、息を吸い込んだ。

言葉では言い尽くせない、

無常の幸せだった。

 

これが私であり、私の人生であり、幸せであるのだ、

 

絶え間なくやりきれず、寂しいことは主に対人関係に発生する。

 

しかし、自分の感情とは、お別れすることができない。

それもやっぱり私である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。 自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。 あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。 だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。』

「極地の空」 ポール・ボウルズ