そう…。ねぇ…私たち、このまま二人で、怪物になって…
こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか?
嫌なことも、悲しいことも、全部無かったことにしちゃえるぐらい、壊して、壊して、壊しまくってさ…。
それはそれで、良いと思わない?
まどマギのほむらちゃんの言葉を思い出した。
こんな世の中は腐ってやがる、壊してしまえばいいと思う。
天使が生きるには汚すぎる世界
誰もが苦しい、今にも溺れようとしている。
三浦春馬が生きた歴史は、言わば私の中の原体験だ。
原体験というものは、精神形成においてとても重要だろう。
小学生の頃に私はよくドラマを見ていたんだけど、よく出演していた。
ごくせんでは三浦春馬推しだったし。
その後あまりテレビを見なくなっちゃったから、彼の仕事をずっと追いかけていたわけじゃないけれど、キンキーブーツやNHKの番組でとても真面目な人なんだなと思ってた。
そんな彼が突然、居なくなってしまった。
衝撃を超えて、絶望だった。
信じられないし、涙が止まらなかった。
何故だろうか
私の人生に直接関わったわけではないのに
それほど重要だと考えていなかったのに
とにかく頭に何も入らない1日だった。
ただそこにある虚無、絶望。
私みたいな人は沢山いると思う。
本当に、日本中にいると思う。
特に同世代の人は、私と同じドラマや映画から原体験を得ている。
三浦春馬は現代のイアンカーティスに、カートコバーンに、リヴァーフェニックスに成るのだろうか。
神聖化され、人々の夭逝の象徴になってしまうのだろうか。
誰かが悪いわけじゃない。
死ぬ事が悪いと言いたいんじゃない。
きっと「何故」が世界に溢れているけれど、本当の気持ちなんか誰にもわからない。
どれだけ想像しても、泣いても、絶対にわからないし返ってこない。
生命の価値なんか、所詮ちっぽけで、誰も守れなくて、時価だから。
こんな社会は狂っている。
誰が遅延電車を咎められるか
誰が人に簡単に死ねと言えるか
誰が嘲り罵る事ができるのか。
生命の価値なんかわからない。
相手が決めるものじゃない。
人は、死ぬとき死ぬ。
でも、外的要因が、社会が、どれだけ人を追い詰めるか、もう一度考える必要がある。
誰かが一様に価値を判断すべきではないから。