わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

Danny Boy

 

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

 

アドラー心理学の根底に流れるこの考えにとても共感する。最近。

 

私は元々、シュールレアリスム信者だし、

つまりシュールレアリストになりたかったし、

だから気持ち悪い文章の書き方をあえてしてみるんだし、

 

シュールレアリスム」とはつまり超現実である。

深層心理や形而上的な存在、夢や性癖といった領域を形にすることが求められる。

つまり、それは、フロイトの心理分析に大きく影響を受けた潮流であり、アドラーが否定するトラウマに立脚している。

 

私はそう言う人間の根底に流れるエロスに興奮せざるを得なかったので。

 

 

そういえば就職活動で「人生を変えた経験はなんですか」と正直に答えたことがある。

私はそのとき、「ダリの絵画を初めて見た高校三年生の秋」と答えた。

本当に人生を振り返ってみると、ダリ が私に与えた影響は大きかったと思う。

 

「夢」「卵」「蟻」「砂漠」「爆弾」「女」「時間」

様々な概念が溶け合う絵画の中で、「あ、私のことを言っている」と共感せざるを得なかったのだ。

聴いている歌に「私のこと歌ってる」って思ったり、知らなかった言葉を知った瞬間に、その言葉で世界が彩られる瞬間みたいに。

 

絶大な影響を与えた、多感な私に。

その後、ジョン・ケージに出会った。春には敬愛するヤン・シュヴァンクマイエルに出会った。

その後にジョージ・ハリスンを深く知ることになったし、フランシス・ベーコンの描く闇や、ベルトルッチストラーロが描く光に涙することになった。

クールベなんてクソ食らえ、そんな気持ちだった。

 

様々な文化人を見ていて、ぶつかった壁は、彼らの開放的な人間性と自己表現能力だった。彼らはアーティストだ、オノヨーコ曰く「与えるもの」は、世界に対して与え続けなくてはいけない。

 

正直、自由に生きる彼らが羨ましくてたまらなかった。

世間体なんて気にしない、自由な発想と行動。

お金や世俗的な肩書に立脚しない、シンプルな美学の真の美しさ。

対人関係における悩みは、彼ら、シュールレアリストをはじめとしたアーティストになかったように思われる。

ないことはないのだが、別の形に変えて…音楽や絵画やパフォーマンスに変えて、今を生きていた。

 

きっと一部には、自分のことを理解しすぎて、人間関係の悩みを、自己補完が超越したのだと思っている。

 

対人関係の悩みが多すぎて、自分との戦いに一通り決着がついて、私は彼らを羨ましいと遠くから眺めることがなくなった気がする。

シンプルに、表現が素晴らしい、という尊敬でしかない。

そう考えてみれば、気づくべきことに気がつくのが遅かったのかもしれない、楽に生きると言うことは対人関係における悩みを捨てると言うことだと。

アーティストのように自分の美学や生きる世界を大切にすることだと。

 

 

「悩んでる時間が後から考えればバカみたいだ」

と誰かが言ってくれた。

「好きなものは好きだ、嫌いなものは嫌い」

 と。

あまりにもストレートすぎて、バカなんじゃないかと昔の私は言うだろう。

けれど、あまりにもストレートでシンプルなことにすら今まで気がつくことができなかったのだ。

 

 

 

遅いことはない、早い方だ」

 

と誰かが言ってくれた。

「変化を受け入れて成長しようか」

 

と。

 

私はひっそりと泣いてしまった。

何も変わらないことなんてない。

私は私のことを好きなってもいい、嫌いだって言ってたあの頃を頑なに守ろうとしなくていい。一貫性なんて存在しない。成長することを、忘れてしまうことを、理解することを、誉めてくれた。

 

優しく頭を撫でてくれた。

なんだかその人の前では、あまりにも自分が子供のように思えてしまう。あまりにも、超越しすぎて。

 

この対人関係は悩みではないが、恋ではないが、これがしがらみや執着になろうとするときに私の、私との戦いがまた始まるのだろう。

その続きは、またいつか。

 

 

誰とでも寝るわけじゃない そう云って泣いた

 

open.spotify.com

open.spotify.com