わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

One Last Kiss

 

忘れることは生きること

なのかもしれない。

 

これは、半分諦めである。

本当は何も忘れたくないのだ。

ka7788.hatenablog.com

 

忘れたくない、という若々しい抵抗のことも、ついに私は理解してしまった。

大人になったのだと思う。

 

忘れたくないけれど、忘れてしまう、生きるために。

そして、忘れてしまうことは決して絶望ではない。

悲しみではない、酷なことではない、不誠実ではない。

 

 

三月になった。

春だった、春がきてしまった。

 

日々人の優しさに触れながら、諸行無常を痛感している。

もう二度と合わないだろう人、会いたくても会えない人。

会うと思っていても、会わないだろう人。

 

季節の変わり目や人生の節目は、そういった、宙ぶらりんの無責任の、人間関係の「縁」の糸がぷつりぷつり切れていく音を聴いている。

 

とても切ないのだ。

とても切ないのだが。私は留保しておく。

「今は 永遠 に好き」

「今は 永遠 に仲良し」

 

「永遠」という幻想に、死の煌めきに手を伸ばしつつも、忘却への未来に進んでいくことを理解している。

運命の相手なんて存在しないし、永遠の愛なんて存在しない。

 

 

仕方がないことだと言うことを理解している。

何も陳腐ではないのだ。「今」がそうなら、それでいいじゃない。

人間だからね、仕方がないのだ。

どうしようもできない運命に争うことはやめようと思う。

そしてふわり人生を漂流していきたい、私はそう思うようになったから、もう死にたいとかそう言うことも思わなくなるんだろうな、と思う。

 

人生を漂流していく中で、大木にしがみついてもそれがいつまでもつかわからない。

結局は自分を理解して、他人との境界を理解する必要があるのだと思った。

 

 

 

正直ね、エヴァをみるまでそう言うことも無理して理解しようとしてた。

「Beautiful World」に共感してた。

 

けど、みんなが気付いたら大人になっていたし、私も気がついたら14歳ではなかった。

誰も成長しないことなんてないんだね、シンジくん。

 

誰かを求めることは

即ち傷つくことだった 

 

open.spotify.com