時は全てを破壊する
辛いことがあった後の
「考えすぎだよ」
「引きずり過ぎだよ」
なんて友人の言葉は全部無視して仕舞えばいい。
時間というものが、存在というものが
確かであるという証明が「現在」でしかないのなら、
時間が私を、貴方を、「癒す」ことの証明はどうやって行えば良いのだろう?
時間が経ったからといって、何かが解決するわけではない。
むしろ時はすべてを破壊する。
かつて確かであったことさえ、今は何が正しいのか、証明する手立てはない。
流れゆく時間の中で「現在」をどうにかすれば別の話かもしれないけれど…。
「いい加減大人になりなさい」
なんてひどく辛い言葉をかけられてしまうストレス社会において、フランシス・ベーコンは時の治癒能力を否定してくれた。
彼については以前も書いた気がするけれど、
ベーコンは画家だった。
ゲイな恋多き画家だった。
彼の描く肖像は、形が崩壊している。
肉片が剥き出しになっている、顔が空間と一体化している、ドロドロと、絶え間なく流れ出す。
彼は、感情を抽象的に絵に表す事を否定した。
あくまで、彼が描く肉体は、生物は、限りなく「物」として描かれている。
私がベーコンの絵を初めて見た時に、
「こんなにも私の悲しみに寄り添ってくれる絵画が存在するのか」
と嬉しくて悲しくて涙を流しそうになった。
しかし、そこには不確かな感情がなければ、不確かな時間という概念も存在しない。
ただ、崩れ落ちる肉体が散らばっているだけだ。
あくまでも形而下学的に描かれているからこそ、誰もが心の中身をベーコンの絵画に委ねてしまうのかもしれない。
「私の辛い感情はこの辛い肉体にやがて帰っていくべきなんだわ」と。
映画「愛の悪魔」で、ベーコンは時間の神話を否定した。
ベーコンはかつて、多くの恋人を作ったが、それぞれに大きく傷つき、そして傷つき続けていた。
傷ついている事を恥ずかしがる必要もなければ、克服しようと無理をする必要なんてないのだと思う。
ただ、傷ついている自分を理解して、なんとか現在を乗り越えていく、それこそが確かだと私は信じたい。
時間が何かを癒す、なんて言葉はまやかしだ。
何も癒えることなんてない。
荒廃した精神世界で、なんとかやっていく事で、
自分なりに折り合いをつける中で、
人間は今日も生きていくしかない。