わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

1984

 

でも大丈夫だよ、わたしが大好きな人たちは優しい人で包まれるように祈ってるから  

 

ようこそ

2021年4月1日の世界へいらっしゃいました。

 

涙が出るほど切なくて、寂しくて、でも絶望でもないのはちゃんと大人に近づいている証拠だろう。

人間というのは、一生をかけて完全な死体になる。1日1日、じわりじわりと、死に向かって行く。

それは案外冷徹なものでも何でもなくて、ただ無なのかもしれない。そういうことを理解してからは死のうと思うことは辞めた。

 

 

駆け抜けていく最後の1年。

友達と「案外高校を卒業してから直ぐに働く方が幸せかもしれない」という話をした。

そうかもしれない。

 

モラトリアムなんかあるから働く事が、生きることが、日々の生活がとてつもなく陳腐のように感じられるのかもしれない。

 

たくさん映画を見た、本を読んだ、

そうそう3月いっぱい読んでいた1Q84をやっと読み終わった。美術館に行った、生活に不必需と思われる文化にたくさん触れてきた。そういったものこそが生き甲斐で、そういうものを愛せない人生は無意味と思っていたからだ。

 

しかし結局私を前に進めたのは人間関係のもつれと悩みと、愛だった。

 

独居を始めてから初めて、あれだけ嫌悪していた親の偉大さに気がつくし、働く事の必要性に駆り立てられる。

 

長い思春期を終えて、社会人になるという事を、やっと理解できるようになってきたと思う。

遠回りをしたが、意味の無いことなんてないし、特別なことなんて何も無い。

 

 

 

 

友達と最後にバイバイをした31日、やっぱり涙が止まらなかった。絶望じゃない、切なさ、学生が終わってしまうという不可逆的でどうしようも出来ない通過点。

 

私は、そういう通過点で誰かと交われたなら、それだけで生きている意味があると思った。

人々は孤独だ、永遠なんて存在しない、誰かと一体になることなんてありえない。そういう煩悩こそが人を苦しめる。

 

しかし、人生の中で誰かを愛する事が出来れば、それだけで生きる意味があると私は思う。

 

無償の愛。それは性別とか年齢とか国籍とか、関係がない、執着する必要は無い、私が好きな人は自信を持って好きな人だ。

 

それに気づくことが出来た、大学生活、祈りのようななにか優しいものとして、花向けの言葉としたい。

 

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