わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

映画

 

私は映画が好きだ。

本も音楽も好きだが、とりわけ映画が好きなのだ。

映画が好きな理由はたくさんあるけれど、特別な理由があるわけではない。

 

カルチャーの手段として様々なメディアがあるが、「好きだ」と自信を持って言えるメディアが映画だっただけだと思う。

だからこそ、特別、映画が優れているとは思わない。

いろいろなものを手に取って、私に取って形に収まるものが映画なのだ。

 

「なぜ映画なのか?」

よくよく考えてみると、

私は社会が築き上げた共同幻想のような概念が好きだ。

それは時に宗教やアートの潮流として世間に姿を表すが、

「映画館」という場所はまさに共同幻想の縮図のような形になっている。

 

複製されたメディアを圧倒的に一方的に見せる場としての映画館。

様々な境遇の人が、同じものを見て様々な感想を抱き、時に笑い、泣き、時間が止まるような驚きに包まれる瞬間すらある。

 

かつて私もそんな幻想の一部になりたくて映画業界を目指したが挫折してしまった。

デイミアン・チャゼル監督「バビロン」(2023)では「映画という大きな何か」にとりまかれたい主人公を描いている。*1

私もそうなりたかった、大きな幻想の一部に…新興宗教の教祖になりたいという願望も、共にそれは誇大妄想に近い。

 

私の幻想を叶えるという意味で、「映画のための映画」が私は大好きである。

「映画のための映画」とは、映画の権威を表したり、メディアそのものに対するリスペクトを映像化したものだ。

ざっと例に挙げると

グラインドハウス」「アメリカの夜」「映画大好きポンポさん」

ホーリーモーターズ」「千年女優」などなど。

などなど。

 

いろいろあるんだけれど、私はこれが好み。好きなジャンル。

 

「好きな映画」「面白い映画」と「優れた映画」はこれは全然別である。

映画の技法として、映像表現が優れていたらそれはアートであるし

脚本が優れていればそれは人々の心に強く訴えかけるストーリーだろう。

映画は総合芸術だから音楽が優れている場合もある。

 

何が優れているか、は毎年のショーレースがなんとなく教えてくれるわけだ。

アカデミー賞にノミネートされる作品は明らかに世相を反映しており、

派手なエンタメ作品は基本的にスルーされる。

社会的意義を求めるのであれば映画は説教臭くなってしまうのである。

*2

 

好きなものを好きになればいいし、社会的に認められた「優等生」をたくさんみることも確実に意義がある。

しかしここに、

「好きでも面白くもなく」

「優れているともいえない」

映画がひと作品ある。

 

ミヒャエル・ハネケ作「ファニーゲーム」である。

本作は、ある湖畔にやってきた家族を襲う理不尽なゲームを描く作品。

理不尽なゲームとは、見知らぬ若者に特に意味もなく暴力を振るわれることであり、

何の変哲もない日常が一変するという点ではかなり興味深い状況かもしれない。

 

一見すると、よくあるスプラッタ映画やホラー映画の粗筋であるが、本作には異常な点がある。

それは

「暴力シーンで暴力を見せない」ということ

「行動に対する明確な理由がなければ結末も存在しない」という心底理不尽なものだ。

 

人々は何か話を聞く時に共感や関心を持ってして面白いと感じる。

面白い話をあえて映画で見るということは、ショッキングなシーンを目で見たいという欲望からなるものであるから、

その点を叶えていないということにおいて「ファニーゲーム」は面白くもなく優れてもいないであろう。

 

しかし、私はこの映画が

「映画のための映画」という面においては大変優れていると思うし、大好きであるのだ。

 

「何か面白いものが見たい」という人間の欲望はかなり過激なものである。

人々の欲望を叶えるために日々実体とかけ離れたCG表現が開発される。

私たちの住む世界とかけ離れた映画の中で、存在しない人の血が多く流れ、そこには理不尽な暴力が蔓延っている。

暴力や過激なものをみたい、

わかりやすく感動をして、涙を流したい、

そしてストレスを解消したい

 =カタルシスを得るため映画

という映画の発展は、現代人の闇を反映しているとも言えるだろう。

 

この悲しみに対抗しているのが、「ファニーゲーム」であると私は思う。

 

似たような意義を持つ作品は他にもあって、それはコーエン兄弟の作品群…「ノーカントリー」やそれに影響を受けたマーティン・マクドナー

ハリウッドから隔離されたヨルゴス・ランティモスの作品群などが挙げられる。

 

これらはいわゆる「モヤモヤ系」「理不尽系」であり、消してその場で感動や衝撃として消化されるべき作品ではない。

しかし、「わかりやすくおもしろい」手軽に消費されるショート動画が流行る現代において、何か共同幻想として人々が思いを馳せる、考える場を提供することは、人類の感情のための最後の救いのように感じられる。

 

大衆にとって今すぐ幸せになるために、必要とされている作品では決してないのであろうが、人間の感情の摩耗に立ち向かっているこれらの作品が、私は大変に好きなのである。

 

*1:デイミアン・チャゼルは「ララランド」では映画人を、「セッション」では音楽人に焦点を当てた。「バビロン」にも共通するが、夢を叶える人をテーマにしている。

*2:その点、「ブラックパンサー」がアカデミー賞にノミネートされたのは、マーベル作品である点ということからみるとかなりの驚きだったかと思う。