躁の話をしておこうと思う。
私は軽い躁鬱を繰り返しながら日々暮らしている。
まあちゃんと自我があるし他人から異常だと言われないから病気ではないんだが*1
父が昔精神病を患っていたから、潜在的なものがある。
そもそも父方の血統が鬱家庭、母方の血統がアル中なのでまあなかなかのサラブレッドである。
つまり何が言いたいかというと、気分の浮き沈みの激しさは「思い込み」ではないということ。
自分でも「躁」と「鬱」を繰り返しているとわかるし、その切り替えがわかるし、何より本当に辛いし、鬱の時期は冷静に死を考える。
例えば、今までの鬱の期間と言えば高校一年生の春休み前後であったり、大学三年生の四月〜七月。
そのころの覚書がこちら。
自分の負の感情が抑え切れなくなって、周りに対して多大なご迷惑をおかけした。
でも、どうしても抑え切れなくて、辛いのは自分。
死にたいなとか、生きたくないな、とか生きていても意味ないなとか
私のことどうせみんな嫌いなんだ とか
そういうことをずっとずっとずっと絶えず、「私の中の私が許さない」と良く表現するけど、そういった状態。
私が幸せになれない世界なんて、存在していいわけないのに、私がそれを許さない。
躁の話をしておこうと思う。
残念ながら、私は今まで生きてきた中で一番幸せだ。
胸を張って、生きていて良かったなと言える。
「生きていて良かった」と言えることが、どれほど素晴らしく、そして私にとって恐ろしいことなのか。
それは躁状態のせいなのではないか。
精神が昂って、そう言わざるをえない状態なのではないか。
確かにここ数日は、非常に精神が昂って普段の状態からは考えられないほど元気である。
酒飲んで道端で転がり続けることも可能*2。
しかし、今何も煩わしいことがないことが、影響を与えているという方が大きいのかもしれない。
バイトも週2だし、お金には余裕があるし、友達との関係も本当にうまくいっている。
友達に関しては、私自身僧侶みたいな質の良い暮らしをしていたら心が健康になって、滲み出る明るさが供えられたからうまくいっているとも言えるし、またはこの数年間積み重ねてきた私なりの人望(ここでいうのはいい人、とかそういうのじゃない個性)のおかげなのかもしれない。
果たしてこれは、躁状態なのだろうか。
単純に、幸せなのではないか。
単純に、今幸せなんです。って呟いてもいいですか?
そして、永遠に鬱が訪れないよう、祈りを込めてもいいですか?