人生は長い、しんどい。
私は自分のことが嫌いだ。というのは予防線だ。
ということもちゃんと理解をしている。
(ということを理解したつもりでいる。)
実は私の中には私がもう1人いて絶えず私の事を批判している。
お前は自分の事が嫌いって言っといて!怠惰に生きても、自分に失望しないように、傷がつかないように予め嫌いということにしているのだ!
自分のことが嫌いなら何したっていいわけじゃないんだぞ!
本当は、自分のことが大好きで大好きで堪らないんじゃないの?
おっしゃる通りである、私の中の私を、私は「りいちゃん」という事にしている。
りいちゃんは絶えず批判的である。
(ということを理解したつもりでいる。)
世界にはレイヤーが沢山あって、自分はどの次元に存在しているのだろう。確実に言えることはりいちゃんとは違う次元に住んでいて、でもそれは自信に内在してる感情とは全く別である。
(これをワイ氏①とする、ワイ氏①は私が嫌いだ。)
周りから見えている私もまた違う。
(これをワイ氏Aとする。ワイ氏Aは基本平和主義者だ。)
みんなと世界を共有しているワイ氏Aが正当に評価されるのが当たり前だ。人は他者との繋がりを断ち切れない。
ワイ氏①もワイ氏Aも、擦り切れを起こしている。自身はどこに存在するのか、当惑している。2人の棲み分けが危ぶまれた時、いきなり自分でも考えられない事をしだす、考えられない。
どれも自分なんだけど、どれも確実に違う人間だと思うよやっぱり私は。ということを理解したつもりでいる。
こんなことを考えるなんて頭がどうかしているのでしょう。
人生は長い。
夜は意外と短いって言うことをみんな意外と知らない。
こんなことをばっかり考えている人生、確実な死を選びたい。