「村上春樹読んだことある?」
「私は今ノルウェイの森を読んでるよ」
悲劇的な人権侵害にあった一週間だった。
人としての尊厳が、ここまで、人に、私の心が土足で踏みにじられる感覚は初めて。
本当に初めて。
心にヒビが入る音を私は初めて聞いたのかもしれない。
ゆっくりと、じりじりと。
例えるならだ、
私はとてつもなく高い塔の最上階の崖っ淵にいて
他人から、誰かからジリジリと追い詰められるようなものだ。
その人は、私に近寄ってしまって、私がそこから飛び降りてしまうことに気がつかない。
わざと飛び降りようとしているわけじゃない、誰でも絶望の淵に追い詰められれば「もういいや」と希望を捨ててそのまま重力に身を任せる事は可能だ。
私が「まさか飛び降りようとは」思っていないからそんなことができるんだ。
私は側から見れば、絶望的な人間に見えないかもしれない。
人と比べたくないけど、少なくとも繊細な感覚は持ち合わせているし、消えてしまいたいという虚無感を多く孕んだ人間だ。
悪意のない他人からの、無作為に見えるその行動は、私を苦しめる。
なんて最低なんだ。
一思いに死んでしまおう。
死者は最強のポーカーフェイスだ。
死んだら、死んだもんがちだ。
そんな事をぐるぐると考えている。
ぐるぐると考えていた。
しかし、私は今「ノルウェイの森」を読んでいる。
そして、今朝読み終わった。
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
読み終えた後、私は6月の昨日降った雨のような涙を流した。梅雨入り前の風の抵抗を受けない、真っ直ぐな汗のような涙だ。
なんだか今まで考えていたことが急にアホらしく考えられたきたから。
死とは、救済かもしれない。
私は今までそう考えて、信じて疑わなかった。
しかし死とは、そこらへんに、雑然に転がっているものだ。
急に自分勝手な手段のように感じられた。
もちろん自分の人生、自分の好きなように生きるべきだ。
しかし、生命の処理に関して、人々は果たして自分を貫き通すことができるだろうか
できたとしても、それはとても無責任なことのように思う。
そこら辺に転がる死に対して、どうやって生きるか。
それはとても勇気がいることだし、辛いことだけど、案外見捨てるべきものでもない気がしてきた。
だから、生きてる限りもう少し自分を信じてあげてもいい気がしてきた。
死んでも何も残らない、死んだら時が止まるけど、周りは相変わらず進んでいくよ
自殺した友人の話をしていた、彼を思い出した。
私はその時、死にたかったしその言葉を理解できなかったけど、今なら理解できる気がする。
なんだかんだで、彼も死を理解し、乗り越えてきたんだろう。
そうでなきゃ、赤の他人の私にそんなこと言わないから。