夢を見ていた。
泡沫の夢である。
夢っていうのは何時も儚い。すぐに消えてしまうし、
夢に見た事を誰かに伝える事は非常に虚しい。
雲を掴むような感じなんだよな。
どうしてもあなたに伝えたいのに、夢で見た景色、匂い、空気、全て一ミリも伝わらないから
陳腐であるのだ。*1
だからこそ、夢を見たときはそっと抱きしめてくれるだけでいいと思う。
昔から「夢」に対して思い入れがあるのは何故だろう。
おそらく、過去の蓄積こそが知で理、という考えが自分の根底にあるからだと思う。
昨年読んだアドラー心理学に共感できなかったのも、フロイト的思想に倒錯しているからだ。
何か調べたり、始めたりするときは必ず古典から調べる。
私がフランス古典映画にハマっているのも、最新映画が見られないのも「過去を知り尽くしていないのに何も語れない」と考えているからだ。*2
自分が何か語るには完璧でなくてはならない。
安易に「好き」を始められない。
お前の好きは本当に「好き」なのか?
温故知新、まだまだ新しい事よりも過去を探っている事は前進的なのか云々。
過去を探ると、夢に潜ることになる。
夢は大脳脳波が作り上げる、過去の蓄積と理想の融合である。
夢を見ていた。
感傷的になる。
大学一年生の秋までが一番楽しかった。
今考えるとあの頃の自分は、大学デビューでイキリ散らして語彙力がなくなるくらいクソみたいな女だったんだが、一番輝いていたな。
日々街に繰り出して、いつも楽しい事を探していた。
いつも未来を見据える人は美しい。変化を恐るな。
などと申しており。
これだけ夢や記憶を伝えたくても、多分誰にも伝わらない。
虚しく、儚く、陳腐で、私にだけ美しい甘い記憶。
だから、夢に浸る事は、自慰行為だ。
過去にすがり、未来を見ない。自分を慰める。
どれだけ過去にすがっても、「青春の輝き」の歌詞の意味は理解できない。
うまく、理解できない。
いつか、分かりたい。
から、日々を更新する事。
日々自分を更新しない、温故知新。本末転倒、背水の陣。
倒木更新しよう。