わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

サマー・エスケイプ

 

「イチゴ」 赤

「チーズ」 黄

「サマー」 青

 

スーパーマーケットのパン売り場に陳列されていた。

右から、信号の逆に、陳列されていたパン。

セロファンの安っぽいパッケージに、ゴシック体で名前が書かれていた。

 

「イチゴ」 赤

「チーズ」 黄

「サマー」 青

 

パンって言うのとはなんか違う、

でもケーキというのは恐れ多い感じのやつ。

 

フワフワの触り心地の良さそうなシフォン。

上には少しカサカサとしたフロストがかかっている。

真ん中には丸い穴が開いていて、クリームが巻かれている。

 

「イチゴ」 赤

「チーズ」 黄

「サマー」 青

 

何だか、反芻してしまう。

庶民的なスーパーの一角に、特売90円で売り出された大量の

「サマー」が目に入ってしまうからだ。

 

「サマー」って一体、どんな味なんだ?

「サマー」が何味かよりも、どんな味なのかが気になった。

「サマー」という名前で修飾されたパンは、どんな味なのか。

 

そもそも「サマー」の味を知らないからだ。

何となく、青、夏とくるとブルーハワイのような味を想像してしまう。

 

しかし、ブルーハワイが「サマー」というと何だか納得し難い。

もっと、夏って甘酸っぱくて、少し儚さを孕んだものなのではないか。

潮の香りと、少しのほろ苦さ、何故か涙の味もしそうだ。

 

神格化しすぎだろうか?

どんな味なのか、知るのが恐ろしくて私は手に取らず帰ってきてしまった。

 

 

それでも、夜ご飯を食べてもお風呂に入ってもベットに入っても「サマー」のことを考えている。

 

「夏」という単語よりも「サマー」という単語は何だか感傷的にさせる気がする。

 

ラブリーサマーちゃんや、

Nastu Summer

(500)日のサマー

 

など、何だか印象的で口に出したくなるものばかりではないか。

 

そこには、英語の原義としての響き…夏 以上の「サマー」に込められた、

青春の瞬きのようなものが感じられるのではないか。

 

 

 

この季節がこんなにも愛おしくなったのはいつからだろうか。

ずっと夏は嫌いだった。

 

暑いし、セミは大嫌いだし、大阪のクマゼミは超うるさい。

おばあちゃんに朝から叩き起こされて、涼しいうちに宿題をやりなさいって怒られたけど、

よく考えたら大阪の夏は、朝から暑かった。

 

大学生の夏は、バイト尽くしでお金を貯めてた記憶があるけど、これといって夏!の思い出はない気がする。

特段、ビッグな海外旅行には行っていないし、今年も残念ながらいけないことになった。

 

四年間、毎日が夏休みのような感じだったから。

いくらでも手にとるように休暇は存在していた。

(だからといって、暇ではなくていつも生き急いでいた気がするけれど)

 

 

でも今年の夏は、最後の夏だ。

宿題に追われ、昼まで寝て、寝ぼけ眼で冷やし中華をすする夏はもう二度とこない。

 

特段、神格化された「サマー」を口にするなんて

私にはとてもとても恐れ多いのだ。

 

今年の私は運転免許を持っている。

パスポートを持っているより、ずっとずっと行動範囲が広く感じられるのは、何故だろうか?

 

 

 

何度も二人は近づいているけれど
離れて初めて せつなさがくりかえす
いますぐ二人は 彷徨う陽のかけら
二度とは戻らない 夏の日を追いかけて

 

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