わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

She’s Leaving Home

 

ストレスフルな社会を今日も生き抜いている。

気がつけば大人になっていた、まだまだ親にも社会にも甘えていたいのに、気がついたら歳を食っていた。

無念、難しい、だんだんと責任を感じるようになってきた、責任という言葉が怖い、

もはや社会の誰からとの縁を切って田舎で羊を飼いながらのほほんとくらしてしまいたいと変な妄想をしてしまうほど。

 

疲れている、疲弊をしている。

私の中の若さや輝きといったものが、失われるというよりかは、損なわれているといった方が正しい。これらの言葉は明確に大別されるべきである。

私が少しずつ減っていくというよりかは、磨耗して使い古しの雑巾のようになっているかのように、思われるのである。

 

私はこの仕事を自分から選び取り、仕事やそれに付随する生活に満足をしているのだが、

それでも時に、

「果たして私はここまで損なわれるべきなのだろうか」

「本当にここまで無理をする必要はあるのだろうか」

と考える時がある。

 

馬車馬のように働き、相場に揉まれ、セクハラやモラハラに耐え、変に鍛えられたメンタルを自覚した頃にはそこにかつての純粋さはない。

綺麗に傷がつきたい、「傷つきました」「辛いです」とシンプルに言える純粋さが欲しい。

もはやそれすらも言葉にできないほど私の心臓は凝り固まってしまったようだ。

 

 

昨日、久しぶりに地元の幼馴染みと再会をした。

私を含めて四人、本当に小さい頃、4歳の頃から知り合いだからもはや実家のような安心感だし、この年になるとただ幸せそうに生きているのが確認できるだけで嬉しい。

 

そういえば最後にあったのは2年半前で、久しぶりに会話をすると2年半という月日が短いようでかなり長いものであると実感させられる。

全員長く付き合っている恋人がいて、それぞれ仕事を見つけ、代わり映えがあるようでないような人生を送っている。

そんな人生がとても、すごく羨ましく感じてしまったし、逆に私はこの二年半何をしていたのだろう、と当惑してしまった。

 

何も変化がなかったわけではない、彼女からしたらパワフルなキャリアウーマンなのだろうが、なにか、人間関係で育めたことがあるのかと考えたら、ない。

私の家庭は一度崩壊してしまったし、およそ彼氏と言えるものも存在していない。

 

何が違っているのだろうか、気がつけば全然違っていた。

何をしているのだろうか、一人地方都市で疲弊してしまっている自分よ。

明日のことで精一杯、

未来のことなど、昔から考えていない。

 

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