わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

透明少女

 

私の夏は不在だった、

彼は夏が来る前に去り、そして夏が終わった後にもう一度去った。

失われたというよりも、損なわれたと言ったほうが近い、

もともと存在しなかったようなものだから。

 

恋愛はしばしば私を困らせてきた、そのような記憶に思いを馳せる。

かつて私にとって恋愛は、とても人生の深いところまで介入して、私の生活をぐちゃぐちゃにして、眠れない夜を過ごさせたものであった。

つまり、恋人は、好きな人は、つまり圧倒的な他人は私が存在する上で、

私の存在意義を揺るがせる存在であったということであった。

 

「好きな人」がいる、というのは素晴らしいことだと思う。

かつて私がそうであったように、好きな人のために頑張ったりだとか、好きな人のことをその人がいない時も考えたりだとか、とても健気だと思う。

 

「健気」といえば聞こえはいいだろうが、結局は、

結局のところは他人がいようがいまいが、自分は自分でしかないだろうというのが最近の結論だ。

 

私の恋愛は夏が始まる前に終わり、そして夏が終わったと同時に再び、完全に終わってしまったのだが、その気持ちに封をしてしまったのは最終的には私だった。

 

興味がなくなってしまったのである、とても悲しいことに。

自分に興味がない人が、とてもつまらなく自分の人生にとって不要であるように考えられたのである。

何度も何日も考えたはずのあの日の思い出というのが、今となっては使い古しのタオルのようにもう水を吸いはしない。

 

 

恋愛の苦しみや楽しみが現在進行形であるというのは、実は幻であるのだと考えている。

現在進行系で「ああ好きだ」であると実感するのは、実は人々にとって少なく、困難な事なのではないか。

 

結局人は何度も好きな人のことを頭で繰り返し考えてしまう、

前頭葉が何度もドーパミンに侵されて、もはや好きな人を好きである事実に脳が酔いしれてしまう、

恋愛の本質が、自分による自分のための過去の記憶の繰り返しで、

大脳皮質のバグであることを理解してから、恋愛に対してパニックになることは、少なくなった気がする。

結局は恋愛は自分の問題である、ということが大問題である。

 

 

季節は変わりつつあり、

今目の前にまた恋愛が転がっているのだが、どう触れようか、そしてどう維持しようか悩んでいる最中である。

 

ただ、確かに言えることは、私は今目の前にある恋愛を楽しみたいということだ。

思い出などまだ存在していないからそんなことが言えるのかも知れないが、

相手にどのような過去があっただとか、これまで私がどうしてきただとか、そういうのは本当にどうでもいいような気がする。

 

ただ、目の前にある存在だけが確かだ。

今思っていることを素直に話したいし、素直に聞きたい。

今を作り上げ、その瞬間を純粋に「幸せ」だと実感したい。

 

 

9月、過ぎ去ってしまった季節と、「夏」は今年も不在だったことに思いを馳せながら。

 

もうすでに秋は始まっているのだと気がついた、8月31日

目が明くような晴れと爽やかな風、明らかな雲は圧倒的な秋だった。