わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

Dance,Dance,Dance

 

冬になったらエッグノックを作ろう、

ポトフを煮て、赤ワインを飲んで、なんだか硬めのパンを食べたい

神様なんて信じていないけれど。

 

人はいつでも未来を生きている、未来への予防線。

 

まじあっちいのに欲しいのは秋服だし、

今年のクリスマスも一人で迎えるということを既に覚悟している。

 

 

クリスマスが好きになったのはここ最近だけれど、

それはここ最近、ほんとうの意味で一人が好きになったかもしれない。

私は一人でも生きていける、誰かに執着することが生きる苦しみなのだと、

そうかもしれない。

 

 

 

いつも人の幸せを願っているわけではないが、特別不幸を祈っているわけではない。

 

「幸福っていうのは、相対的なんだ」

 

大学二年生、杉並区。

 

わたしは今でもこの言葉を思い出すわけだが、

相対的に、圧倒的に、私が幸せになれば、

世界で一番になれることを知ってしまったのは去年のこと。

 

世界には私しかいない、他人の事などどうでもいいし、

他人の幸せの概念すら、「正しい」とは言えない、正しさをどこに求めるかが違うから。

 

世界は私だけのものとなった。

 

 

 

そんなわけで、外出が禁止される地方都市で私は一人引きこもっている。

 

三連休、白ワインを二本開ける。

朝食を作り、映画を見て、本を読み、酒を飲み、映画を見て、昼寝して、酒を飲む。

 

ひとしおに、枯れていく。

そう思うこともある、けれど、私が私を思い出してあげればいい。

昔のことを思い出したり、好きな音楽を聞いたり、好きなご飯を作ってみる。

 

生きることの方が辛い世の中、死のうと思えばいつでも死ねる世の中で、

私はなぜか今日も息をしている。

 

ずっと死ぬことだけを考えてきた。

それがなぜだか、今はこうして生きていることが、正しいことのように思われる。

 

 

私の夢はなんだっけ?

 

幸せな家庭を築くこと?そんなわけない

世界中のすべてを知ることでもない、しあわせの青い鳥の話と一緒。

幸せはいつも自分の中にある。

 

しかし、圧倒的に忘れられない心象がある

 

パリ、モンマルトル朝5時半。

コーヒーの香りがするアパルトマンで、朝焼けを見ている。

サクレクール寺院の鳥たちが朝を告げる、

その光景は、本当に涙が出るほど美しい。

 

 

私はまだこの光景を目にしたことがない。

しかし私は何故か忘れることが出来ない。

 

 

なぜだか、心に焼き付いた風景がある。

私はそれを確かめるためにこれまで生きてきたのだと、そしてこれからも生きるのだと、

なぜだか、自信を持って言えるのだ。