わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

私の好きなもの

 

 

 

お寿司になりたい。

 

お寿司になりたい。

本気でそのように思っているよ、私は。

 

今まで私の好きな食べ物ランキングの一位はずっとずっとからあげだった。

からあげクンのような成形肉も好きだけど

やっぱりお母さんお手製のからあげが好き。

夕暮れの通学路で香るあの香ばしい衣の香りと美味しい音が好きだった。

 

 

しかし、最近胃もたれが激しくあまり食べられなくなってきた。

からあげの時はカロリーを気にせず爆食いをするが、それにしても体が追いつかなくなってきた。

 

好きなものランキング2位のポテトチップスもそろそろ厳しい。

そろそろニキビも気になる。

体裁的にも気になる。

 

だから、最近はカロリーを摂取しながらもそこそこ醤油味でさっぱりしているお寿司が好きだ。

中でも光り物、イワシ、アジ、サバ、サンマ…。

 

秋のスシロー光り物フェアなんてまじで最高

高いお寿司も食べたいけれど、値段を考えずに食べられる100円寿司は天才だ。

 

お寿司を最初に回らせようなんて考えた人は天才だと思う。

元々とても手が届かないような存在。

回るだけで、いつでもとってもいいですよ、と私のような一般庶民が、手軽に手を伸ばすことができる存在になる。

 

それでいて、宝石のようにキラキラとしたお魚たちがランウェイを魅力的に、グラマラスに駆け抜ける。

 

 

 

はあ。

お寿司になりたい。

 

これは私の性癖なのだが、好きなものにどうしても近付きたいのだ。

 

スシローで働きたいということではない。

光り物のようなサバ肌になりたいわけではない。

 

お寿司 という響きに内包される、美しい概念に私はなりたいのだ。

美味しい、という、その見た目のフォルムの、体系的な「美しさ」に私はなりたい…。

 

もっというと、高度なナルシシズムの上に成り立つ。

私が好きなものは高尚だから、そんな素敵なものになりたい。

 

基本的に人のことも物のこともすぐに好きにならないので、

私を魅了するほど素晴らしい存在は、もはや虜にしてしまうっていう点で高次だし、美しい。

 

というか、「これっていいな」「素敵だな」と思わせる人や存在は、素晴らしいと心から思うしとても尊い存在だと思う。当たり前のように、当たり前でないからこそ素晴らしいのだ。

 

だから私は、伊藤健太郎になりたいし今田美桜になりたいし、推してるアイドルになりたい。

 

ただ単に顔が美しく、そして人に愛されるtalentな存在。

私もそうなりたい。

お寿司もまさに、その通り。

 

 

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AH!

 

「明日には君もスーパースター!」

テレビ言う それって大ウソだね!

おべっかありがとう

一発殴ってもいい?

Ah!

 

ラクサスというサブスクサービスがある。

月額6800円でブランドバッグを借りたい放題。

ロエベセリーヌも、もちろんシャネルもディオールもなんでも借りられる。

流石にバーキンは無いだろうが。

 

昔、バーキンを女性に一ヶ月間渡したら顔が変わるのか?というテレビの企画がやっていたが、一ヶ月後には自信を持って背筋が伸びていた印象がある。

 

ブランドという価値が、女を輝かせる。

ブランドに裏打ちされた価値が、自信を持たせる。

 

まあ、わかる。

ブランド品で心の持ちようが変わるのならば、ブランドに自分なりの価値を見出し、心が豊かになり本人が満足するなら良いのだ。虚しくもあるけど。

 

本当に自分がそれが良い!と思うならば、思える自信があるのならば、まだ良いのだ。

 

 

問題は宣伝文句にある。

「30越えてそのバッグ、恥ずかしくない?」

 

曖昧だったけど、こんな感じだった。

なんてひどいんだ、考えたライターのお尻を叩きたい。

 

顧客に対し、他者と比較させ惨めにさせ、購買意欲を高めさせる。

本当に良いサービスならば、そのサービスの強みを見せれば良いのに、人の心理に漬け込むのはやめてくれ。

 

広告を見た瞬間、自分のバッグを否定される。

それはつまり良いな!と思ったセンスや価値観、幸福論を否定される事なのだ。

 

そんな理由で持ったブランドバッグになんの真価がある?

結局人は劣等感を持って生きていくしか無いのか。

 

トレンドに、肩書きに、経済に支配された私達。

常に「良い」自分へ、理想の自分へ。
そんなものはこの腐った世界が作り出したまやかしでしかない。

 

誰が高い方が価値があると決めたのだろう。

誰が痩せていて可愛くて、美しい方がいいと決めたのだろう。

誰が巨乳を、二重を、痩身を、「美」としたのか?

 

全ては経済だ。

良くなろう、良くなった方が自分は正しい

と人間に思わせる事で物質経済、資本主義は成り立っているのだから。

 

 

君は「ファイト・クラブ」を見た事があるだろうか。

これは、物質主義に囚われた男の話。

 

「中にはすべて入ってた
CKのシャツ
DNKYの靴
アルマーニのタイ」

「お前は“物”に支配されている」

 

ブランド品に囲まれる事で、高級北欧家具を磨く事で、自分よりも不幸な人間を見る事で男は癒される。

 

他者と比べ、経済に翻弄され、そしてひどい不眠症、謎の男「タイラー・ダーデン」の出現。

 

そして、クソッタレの世界を、全てをぶっ壊せ。

 

そんなお話。

 

 

私は痩せていないと落ち着かないし、可愛く無いと鏡を見るたび落ち込むから努力しようとする。

 

毎日唇の色が気になるし、顔のむくみが気になるし、食べすぎたから太るかな、とか考えてしまう。

 

私は唇の色素が薄いから、新しくまたリップを買ってしまう。より良い唇を求めて。

 

でもそれが良いと思ってるからする。

なるべく自分の価値観を大事にしている。

どれだけピスタチオカラーが流行っても、「好きな緑」の服を着るようにしているから。

 

 

しかしそんな価値観すら、刷り込まれたものであるとするならば?

めくるめくインターネットの情報社会に取り残されているとしたら

どうやって、生きれば良い?

 

ラブサマちゃんはこういうぜ

「アーーーーーとしか言えなかった。 」ってね!

 

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Klee

 

美術は、人の暮らしを豊かにするのか。

 

 

最近ボヤッと考えていた。

 

私は暇さえあれば美術館に行く、と言うか暇すぎで行くようになった。

 

東京都写真美術館

アーティゾン美術館

DIC川村記念美術館

東京ステーションギャラリー

国立西洋美術館

 

ここ2,3ヶ月くらいのうちに訪れただけでも、これだけある。

 

大抵一人でブラブラとみて、気になったポストカードを4,5枚ほど買って帰る。

こんなルーティンが始まったのは、高校2年生の時だ。

国立西洋美術館で開催されていた「オルセー美術館展」に行き、ただただ感動した。

 

その時は、ただただ美術館に行く事がかっこいいだとかおしゃれだとか考えていた。

とりあえず、印象派だとか、ゴッホだとかが好きと一とけばいい風潮があったから。

中野京子先生に感化されて、テキトーにレンブラントとかベラスケスが好きなんていっていた時期もあった。

 

今考えれば印象派にも流派があるし、睡蓮なんか見飽きたから全然好きではないのだが…。

 

 

とにかく美術に触れた事で、感性が刺激されたのに間違いはない。

美術が私の人生を変えた、といっても過言ではない事件は高校三年生の秋、「ダリ展」でのことだった。

 

ダリ=時計と髭のおじさん

という印象しかなかった私が、衝撃を受けたのは、人が見えない、心象を表現して見せる、という事だった。

 

それまで印象派の鮮やかで可愛らしい色彩しか知らなかった私は、現実から離れた幻実の世界を描くダリに、そしてシュルレアリスムに倒錯していくことになる。

 

敬愛するヤン・シュヴァンクマイエル監督に出会ったのはそのすぐ後のお話。

 

 

ダリは好きだが、映画や音楽の趣味を広げていくみたいに芸術の趣味も広がってきたと思う。

それから私はクレー*1に出会い、モンドリアンに出会い、最近ではベーコンやホッパーに想いを寄せるようになった。

 

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彼らの特徴は、やはり見えない世界を描くことにあると思う。

私のこの爆発しそうな悲しさや、この世の言葉では表現できない虚しさ、何か人間の弱さというものを、感性を使って紡ぎ出す彼らは超人だと思う。

 

とにかく、私はクリエイターそのものでも、彼らが紡ぎ足す言葉でもなく、

彼らが描いた「何か」に、唯一私の生理的などうにもならない感情を理解してもらったと思うようになった。

 

唯一の理解者は、アートの中に存在する。

 

ダリが描く「目」は私の心を見透かす虫眼鏡で、ポロックの表象は私の心象で、ゴッホのひまわりは疲れた私そのもののような、そんな感じがする。

 

そうやって芸術に倒錯してきたわけであるが

アートは果たして「人の暮らしを豊かにするのか」

 

直接的に言えば、アートは私のことを幸せにしているのだろうか。

正直、アートを楽しんだって、特に私が好きなアートは私を励ますわけでも元気付けるわけでもない。

 

映画でも言えることだが、ご都合主義の映画よりもグロテスクでシュールな話や、宗教的神話の話が好き、つまり暗い。

 

 

暗いのだ。

アートを楽しめば楽しむほど、暗く、思考の深淵に落ちていくしかないのだ。

 

 

 

ロンドンの「ナショナルギャラリー」が市民の私生活を豊かにする市民による、市民のための美術館だったように、確かに私たちの暮らしの一部に必要な娯楽や、教養というものになるだろう。

 

実際ナショナルギャラリーを開いたり寄贈した人々は資産家だった。

その昔は貴族が楽しんでいたものだが、いずれにしてもアートを守り、そして価値をつけるのは金持ちだ。

 

 

マルセルデュシャンの小便器が価値を持った経緯のように、結局は人に評価されていく。

 

資産家や貴族のように教養がある人間がそのような精神的世界、芸術的分野に足を踏み入れることは何も問題ない。

 

問題は、私のような金のない一般市民が、アートに口付け、深淵へと引っ張られることのように思える。

それらを受け止めるだけの人生経験と、金銭的余裕と、人生計画がうまい具合にうまくいっていないように思われるのだ。

 

こんなことを考えていると最近のバンクシー問題もなんだか理解できてくる気がする。

 

バンクシーは自身の美術展を「フェイク」だと批判している。

 

彼の行為はあくまで違法だ。

しかしそれでもなおその辺の落書きと違って評価され、そして本人が商業批判があるのには理由がある。

それは街中にパフォーマンスアートとして出現するものだからだ。

売買されるものではなく、社会の表象といったほうが正しいのかもしれない。

バンクシーはお高い人の評価がつくアート()ではなく、社会現象である。

 

だからこそ私たち市民により寄り添い、衛生的で健全な思いとして受け止められるような気がする。

 

もちろんアートにも金を払わねばやっていけない。

社会や人を表現することは神の領域だと考えているし、尊敬している。

残念ながら、私は自分を表現するだけの才能を持ち合わせていない。

 

絵は並み、音楽は並以下

でもなんとか外に出したくて、

伝えたくて、聞いてほしくて、楽になりたくて、

私は言葉を使う。

 

だからクレーの絵を見て 落ち込むのは

僕が擦れたから 擦れたからか

 

見えないもの 描きたくて

僕は言葉を使う 使う

 

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*1:クレー自体はずっと前に知っていたんだけど、魅力に気がついたのはそれからの話

Another sunny day

 

飛行機の中では、ベル・アンド・セバスチャンを聞くことにしている。

なぜか旅のお供にしてしまう、何故だろうか。

 

台湾から東京へと向かう早朝便の中でも聞いていた。

早朝便の暗い機内で、飛行機の揺れと、心地よい音楽に何度も薄目を開けてしまう、朦朧とした感覚。

それはまさに夢心地だった。

 

彼らの音楽はいつも臆病者の味方だ。

初めて知ったのは高校二年生の頃だったかなと思う。

 

「一番好きな映画はなんですか」と聞かれて答える、映画*1を監修していたのが、バンドのフロントマンであるスチュアート・マードック

彼の映画を、一人で新宿のミニシアターで観た。

膝を折ってリアルに泣いたのは、初めてだった。

あまりにも抑圧された高校時代、不眠症と薬物依存で溺れそうな私を、私のことをわかってくれた気がして、胸が張り裂けそうなくらい泣いた。

 

所謂この映画も、音楽も私の青春の象徴だ。

遠いスコットランドグラスゴーに思いを馳せては、どうでもいいけどどうでも良くないことをブラブラと歌に乗せる、軽快なリズムに揺れていた。

 

だから、今回も三泊四日の旅行の帰りに聞いていた。

思い返せば今回の旅は、一度もつまらないとか帰りたいとかだるいとかイライラするだとかそんなマイナス感情とか、

都会のことを思い出したりだとか、バイト先の人間関係を思い出したりだとか、そう言う事が一切なかった気がする。

 

旅先案内人が親しい友達だったし、みんな大人だから率先して家事や運転を分担できたからだと思う。

本当に大人になったな。

 

そうすると、私が深くて暗い自己の世界に没入していくことはない。

ベル・アンド・セバスチャンは、私の中では春先の庭で鳥の死骸を見つけるような感覚で

他者との人間関係の中で自分を見つめ直すようなある種の闇を含んでいるんだけど

それらを全く、する事がない数日を過ごした。

 

それはとても、快適で、健やかで病める事がない。

理想の世界。

心を溺れる事がない大海原に解き放つ感覚なのだ。

 

しかし、ユートピアであって、旅は旅。

いつかは現実に戻らなきゃいけないから。

それをほぐすため、現実との解離を防ぐため

お風呂上がりのマッサージのように、私はベルセバを、飛行機で微睡ながら聞くのだと思う。

 

着陸したら、そこにはまた私が立って待っている。

 

'The lovin is a mess what happened to all of the feeling'
I thought it was for real; babies, rings and fools kneeling
And words of pledging trust and lifetimes stretching forever
So what went wrong? It was a lie, it crumbled apart
Ghost figures of past, present, future haunting the heart

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*1:あまりにもファンタジーなボーイミーツガールミュージカルなので恥ずかしくてあまりいえないけど

Morning Glory

 

自転車でいつものように地元の小学校の前を通っていたらあるものを目にした。

セミの死骸だった。

衝撃を受けた、夏ももう終わるらしい。

 

セミは七日間の命と言うけれど実際にはもう少し生きるみたいだ。

 

news-manabi.com

 

にしても、最長で30日ちょい。

ほとんどのセミはそれまでに命尽きてしまうだろう。

 

長すぎた梅雨と、まだ続く自粛期間。

8月を迎えるとともにうだるような夏がやってきた東京で、セミが死に始めている。

つまりそれは夏の終わり、8月の終わりを思わせるのだ。

 

そうか、今年も8月が終わる。

どう考えても今年の夏は短かったし、これと言って何かしたわけではなかった。

 

まだまだ暑い日々は続くけど

9月に入ればもうそこには秋の香りがすると思うし

これからはどんどん寒くなる一方だと考えるとなんだか気分が落ち込む。

本当は秋が一番好きなんだけど、今年はそんな気分じゃないの。

 

そういえば今年の夏は入道雲を見ていない気がする。

空いっぱいに広がる大きな、ラピュタが現れそうな大きな入道雲

地元でもよく見られると思うんだけど、見た記憶がまるでない。

 

湿度を程よく含んだ天衣みたいな雲しか見ていない気がする。

東京の狭い空でも入道雲は見る事ができるのだろうか。考えた事がなかった。

あまり空を眺めていないのだろうか私は。

 

あまりにも8月を、夏を神聖化しすぎているのには昔のブログで触れた。

私が想像していた夏フェスも恋のときめきも、自分探しの旅もそこにはなくて

つまらないテレビ番組と、早起きの新聞と、暇なく彩られた爪があるだけだった。

卒論が辛いのはそこまで変わらないと思うけど…。

 

とにかく、ジャニーズのオンラインライブを見まくったり

フジロックの配信を三日間張り付いてみたりしたけど、

勝手にエモくなって内向的になってしまう。

内向的だけど、こうなったらもう、どうにかして楽しんだもん勝ちだよな。

 

 

「8月最終週、とことん楽しんでやる。

とことん楽しむだけの予定が私にはある。

21の夏、謳歌してやる、青春はきっと自分の中にある。」

 

もはやそれは反骨精神でしかないのだけれど。

 

 

Need a little time to wake up
Need a little time to rest your mind
You know you should so I guess you might as well 

 

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YOU & IDOL

 

 

あなたそれはYOU 有名人なの

わたしそれはI 愛のラビリンス

 

「たいせいくんが好きで、なんだかんだでくっついたりしてたある日、お誕生日おめでとうやったんだけど間接的に彼女の存在がわかって(しかもかわいいこ)勝手に失恋する」

 

今朝のツイートだ。

夢に好きな人が出てきて、

その人に対して淡い恋心を抱いているのだけれど、結局私よりも可愛い子の方に行ってしまったことがわかり、

間接的に失恋が発覚してしまうという夢だった。

 

夢日記をつけると、夢を自在に操ることができるという。

所謂明晰夢と言われているけど、そんなものは都市伝説な気がしている。

 

私のことを古くから知っている人は、これまで私が夢に苦しめられてきたこと、

(dream)という概念が私から切っても切り離せないことを知っているだろう

ka7788.hatenablog.com

夢を思い出す瞬間が一番怖いと思う

さっきまで自分の内側にあったのに今は空に溶けてしまっている

森山直太郎のうんこと一緒だから、彼の気持ちがとてもわかる気がしている、

何か自分から離れていくことが怖いさっきまで自分の一部だったものが解離していく、

夢は私のものじゃ無いんだって。

 

この時のブログは、特に理由とか意味はなくて

シュルレアリスムにおける自動筆記(オートマティズム)を意識したものだった。

 

潜在意識、その場から、口からただ流れ出す言葉を筆記していくこと。

そうすれば夢に近づけると思っておこなった私は、現代のシュルレアリストの一員なのかもしれない。*1

 

 

 

今日見た夢の話に戻ろうと思う。

かつては悪夢にうなされた私だったが、はっきりと現実味を帯びた夢を見るのは久しぶりだった。

 

好きだという恋の心拍数を感じる。

顔が近くまで、頬が触れるくらいに接近する時の産毛のもどかしさ

失恋してしまう、胸の苦しみ。

 

どれも私がかつて経験したことで、感覚として覚えているものだった。

最も、夢の流れは私が大学に入って初めて好きになった人の時と似ている。*2

 

しかし、この夢には完全に欠陥が存在している。

それは、好きな人が、夢の対象が

紛れもない、アイドルということだ。

 

 

アイドルもまた、夢のような存在である。

夢であり、夢を売る。

しかしそこに存在しているのだが、存在しているが故に夢のようであるのだ。

 

応援したからといって私が彼から何かしてもらえるわけではないし、

絶対に恋愛関係に至ることはない。

 

アイドルである彼と、一般的なプライベートの彼は全くの別人であり

後者を追えば追うほど、アイドルと観客との夢の関係は崩れていくのだ。

アイドルに対するストーカー行為、犯罪は所謂こういうことであるのだ。

 

 

とにかく朝目が覚めて、私が抱いた感情はとにかく

切ない ということだった。

そして、悔しく恥ずかしいものであった。

 

それは一つ、あまりにもリアルすぎる失恋であり

もう一つは、齢21にもなって、夢に恋をしていることだった。

そろそろ現実を見つめて新しい恋を見つけなければいけないのにも関わらずである。

 

夢が、再び現実世界との境目をなくし始めている。

そんな精神世界の揺らぎを見たね。

 

あなたそれはYOU 有名人なの

わたしそれはI 愛のラビリンス

 

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*1:これが結構難しい、シュルレアリスムの詩を参照するとこんな面白い言葉や響きが無意識から発生するなんて美しいと思う。アンドレブルトン

*2:考えてみれば、最近の恋愛において今までに自分から好きになった人はその人だけかもしれない

気にせず Go my way



私は今泣いてる
私が今ないてることって
すごーく すごーく
すごーーーーく すごーーーーーく
小さなことなのかもしれない!

どうなのかなぁ?地球!
え?そうかぁ

大事なのは自分を信じる気持ち
ありがとう!地球!

 

本日のブログは完全に覚書です。

薬にも毒にもなりません。普段からそうだけど…。

 

8月に入ってから、急に暑くなって真夏日和が続いている。

8月に入ると同時に、毎日丁寧な暮らしを始めた。

(*丁寧な暮らしのハードルはとても低い)

(*本当に低い) 

 

・朝は6時から7時までの間に起きる

・白湯を一杯飲む

日経新聞を1時間読み込む

・朝ごはんをしっかり食べる

・本を読む

・車を運転する

・風呂に30分~1時間浸かる

・ストレッチと筋トレをする*1

 ①二の腕 5分

 ②骨盤  10分

 ③腹筋(プランク中心) 5分

 ④足パカ 10分

 

これを一週間とりあえず続けたの、すごくないか??

 

出先で撮った写真の自分の体が醜女すぎて悲しくなってしまって

もう少し素敵なプロポーションにしたいなあと思って。

 

8月後半には海に行くし、このままだと嫌だ!

謎に自意識だけは高いから、自分が気に入らない自分はとことん嫌だ。

 

そんな感じで始めたけど、

今まで何か続いた試しがないから、かなりこれは嬉しい。

 

と言うのも、体に結果がちゃんと出ているから続けられるわけで…

葉物野菜がクソ高いから便秘気味だったけど、ちゃんとデトックスできるし、何より「痩せたね」と言われたのが嬉しかった。

 

まああんまりダイエットと気負いせず、体調管理の一環として行うのが続けるポイントなのかなと思う。

 

何事にも、自分のためにやることが大事だな。

誰かの為とか、誰にこう言われたい!から頑張るって思う気持ちはあっていいと思うけど、それはいつか執着に変わるんだなぁと言うのは、今までの体験談。

 

〜〜したのに!みたいな感じにね。

 

このままサバサバ女への道を極めてメンタルゴリラ女*2になりたいな!

 

 

 

続く理由は、まああとは暇すぎでこれ以外やることないからだわ。

バイト週1〜2のあまちゃん女なので基本在宅…。

逆にこれ以外毎日何かやっていることがない。

 

そろそろ卒論やりなさい。

(やりなさい)

 

8月後半の目標は、卒論やる

 

 

 

小さいことをいちいち気にしてちゃいけない!
気にせず Go my way

 

*1:二の腕とプランクは三日前から増やした

*2:見た目はメンゴリって言われたんだけど褒められてるんかわからんわ