わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

美しい

 

純粋なクソがいい

おしゃれなクソにジェラシー

クソに魂込めた

リボンを結んでみた 同じか?

みんな同じか?

 

メイク、化粧と普遍的な美について

書いておこうと思う。

 

先日友達に化粧をしてあげ、そして化粧をしてもらう機会があった。

純粋に自分がメイクが好き、コスメが好きだからこそ誰かの顔をパレットにしてみたいという思いがあった。

 

化粧、顔面を飾り付ける。

それを極めるまで、かなり長い道のりがあった。

高校三年生の春休みに見た美容系ユーチューバーの動画を見て物真似をしてみた。

アイラインはガタガタだったし自分が似合う色はもちろん、好きな色すらわからなかった。

 

化粧を初めて4年。

整形を通してさらに自分の顔の作りだとか、特色というものを理解できるようになった。

自分の顔だけではなく、他人の顔を分析して飾ってみたいと思った。

 

自分に対する顔の分析と、メイクの特徴を書き出しておきたいと思う。

もしこれ違うな?とかこう思うな?ということがあったらぜひ指摘してもらいたい。

 

【顔分析】

・目の形:左右で異なる、右目の方がアーモンドアイ寄り

 パッチリ二重だが、皮厚め末広型なので、笑うと二重が消滅する

・肌の色:イエローベース。地毛が真っ黒なので多分イエベ秋。

 昔はくすんでたけど日焼けを避けることでかなり透明感が出てきた。

・唇:厚い。ボーッとしてると下唇が出てしまうため、不満な印象を与えがち。

・眉毛、薄いし無い。

・鼻の形:整形済み

 尾翼部が大きめなのが少し気になる(けれど大きい鼻も悪くはない)

・顔の形:典型的な小顔タイプ。人中の長さもちょうどいい。

 

【メイクのこだわり】

・艶肌

・眉毛は平行寄りで角度つける

・顔面の毛を全てピンク・ブラウンに染める

・ライン系も全てピンク・ブラウン。ハネもせずタレ目にもせず平行

・二重幅と涙袋の拡張

 マットシャドウで涙袋の影を描く

・洋服と顔面の色系統を合わせる

 

【理想と現実の相違】

・理想:可愛い顔の印象+色素薄めのアンニュイ感

・コンプレックス:歯並び、不満顔、下唇と唇の発色、目の左右差

 →やりたいこと…インビザライン、眉下切開、唇のアートメイク

 

 

ただの自己分析。

なんだけど、メイクをしていると、というか他人にメイクをしていると

かなりの固定観念と美的感覚に囚われていることに気がついた。

 

所謂私の好みの血色感メイクを施すと、友人の顔はありえないほど温和になった。

優しそうなお姉さんといった感じになった。

私好みの感じになった。

 

メイクを施した友人の好みはグレー系メイクだった。

マスカラは黒だし、眉はグレーだし、メイクにかける時間も比較的短い。

私は絶対に使わない単色ラメシャドウをすごく上手く使う。

黒のアイラインの跳ね上げは人を殺せそうなくらい尖っている。

私はよく個性的なファッションや趣味を活かすべきと言われるんだけど、それを助長することができそうな顔。

私の顔は、強くなった。マジで。

 

びっくりしてしまった。

メイクで人は変わるというが、結局は技量&美的感覚に左右されるのだ。

「所謂メイクをする人のセンスが問われる」、ということなのだ。

 

しかし、それは裏返しで

「所謂美的感覚は人のセンスそのもの」ということなのだ。

 

私は友人にしてあげた血色メイクがすごく可愛いと思ったのだが、

友人はやはり強い顔が好きだといっていた。

アイラインも強いのがいいし、結局は黒いマスカラを使うといっていた。

 

私もやはり、強いメイクはそれはそれで好きだけれど落ち着かなかった。

ゴリゴリに鼻をシャドウで削って行きたいと思った。

 

難しい、

何かを「美しくしよう」という気持ちが違えば

何かを「美しい」と思う気持ちも違うのだ。

 

圧倒的な美的感覚の違い。

これはどちらが正しい、という話ではなく、それぞれの正義が確かに存在しているということだった。

結局は、周りなんて関係なくて、自分が良ければなんでも良いからだ。

 

美だけではない、きっといろんなことに言えるのだろう。

人はそれらの妥協点を探し合いながら共存している。

そう考えてみれば、恋愛というものはまるで奇跡みたいだ。

 

 

 

さて、ここまでは発見なのだが、私には一つの疑問が再浮上した。

「普遍的な美とはなにか」

 

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それらは何かを、人類を超越した美しいものに感じられる。

圧倒的な美しさの前では、人は屈服する意外になくて、ただただ無力に感じられる。

 

私はこのブログの中で二つの答えを導き出した。

・シンプルさの中に、隠された情熱にこそ、美が存在する

・圧倒的な生命の恐ろしさの中にこそ、美が存在する。

 

メイクを通して、美的感覚と正義には個人差が存在することは理解できた。

しかし、なぜ社会の中には普遍的な美というものが存在するのだろうか?

 

例えば、橋本環奈や新垣結衣を例に出そう。

まさか、とは思うが橋本環奈のことを「ブサイク」はもちろん「かわいくない」という人は存在しないだろう。

人には人の正義感がある、ということを多めにみてもだ。

「タイプではない」という人も、少ないと思う。圧倒的に可愛い。

そういう人のことをひがみではないか?と疑いたくなるくらいだ。 

 

これが、有村架純や土屋太鳳になると成り立たないのが不思議なのだ。

不思議なのだ。

美しさに共通しているものが何かはわからない。集団心理かもしれない。

 

 

考えてみると、人々には正義感があり、正しさというものがあるのにも関わらず

社会に共有される「正しさ」とはなんなのだろうか、ある種確立しているものがあるような気がする。

 

ただ、想像してみて欲しい。

身長170センチメートルの橋本環奈を。

身長150センチメートルのティルダ・スウィントンを。

 

何かが違う…。

橋本環奈が内包する「かわいらしさ」というものが圧倒的に失われる。

ティルダ・スウィントンが内包する「かっこよさ」というものが永遠に失われる。

 

そう考えれば、社会に共有される、美しい人々は奇跡のバランスで存在しているのかもしれない…。

「似合う」「正しさ」のバランスが完璧に取れた奇跡

それこそ、それらが混ざり合っている状況こそ尊い、そう感じられる。

橋本環奈になりたい。

 

 

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夢の外へ

 

 

1日遅れの二日酔い。

離脱症状のように汗が止まらない午前9時ごろ、いろんな小咄を思い出していた。

 

 

 

養子縁組の話

大学生活四年間のうち、ほとんど一緒にいたと言っても過言ではない友人がいる。

真面目で、ぶっ飛んでて、私を愛してくれる人。

友人の距離感というものはこれから大人になればなるほど難しくなるのだが

これからもずっと一緒にいたいな、と思えるのはお花畑とかいうニヒルな言葉で済ませたくない。

私と圧倒的に違うのは、すぐに彼氏ができることだと思う。

シンプルに美人だし、いい子だけど、圧倒的に男からモテる。女の香りがする。

あまりにも私と対照的すぎて、彼氏ができない私と養子縁組を組もうと言ってくれた。

それなら結婚しても、ずっと一緒に入れるよねって。

そんな私は最近、友人の彼氏から束縛されている。

「どこ泊まりにいくの?」とか。

友人を通して、束縛されている。

まあ普通に友人の「友人」の素行を心配しているだけなのだが。

養子縁組で彼の子供になる日は近いかもしれない。

 

 

アネモネの話

アネモネが部屋の中で花粉を飛ばしている。

すごく嫌だ、性的な感じがする。

アネモネは二輪買った。

アネモネ花言葉がメンヘラ臭くて好きだからだった。

もちろん色は赤だった。

私は花を買うくせに毎日丁寧に水を変えるわけではない。

アネモネに嫌気がさした頃、ふと触れた瞬間

花弁と花粉が弾けて飛び散った。散弾銃のようだった。

一時の恋煩いで枯れ果てるアネモネの気持ちにもなりたい。

多年草のくせに。

 

 

香りでごまかす話

好きな人がイソップの香水をつけていた。

イソップの「マラケシュ」はサンダルウッドの香りである。

男女共に好かれるユニセックスな香りで、性をごまかしてくるのはなんだか腹立たしい。

それと、私はもともとサンダルウッドが好きだったから悔しい。

お気に入りの香水もビュリーの「アル・カシール」という白檀系の香りだった。

別に、もともと好きなんですからね、ぷんすこ。

まあそれからというもの、私は何か香りものを見つけるたびに買い込んでしまう。

無印のお香、ビュリーのフレグランスマッチ、それだけじゃない。

ノンカフェインのチャイ、スパイスカレー、なんでもいいのだ。

胡散臭い、そういった香りもので自分の神経を紛らわせる。

何かを紛らわせることで精一杯なのだ。

しかし、そんな努力も無駄になる瞬間がある。

私は都内のイソップの前を度々通りかかるのだが、その度に彼を思い出すからだ。

さて、私はドルチェアンドガッバーナがどんな香りかは知らない。胡散臭そうだ。

 

 

ルミネエストの話

大学一年生の夏、ルミネのセールで新宿のルミネエストに2万落としてきたことを思い出した。

化粧もファッションもかじりたてで、なんとか取り繕うことで精一杯だった頃。

大抵、ルミネエストに行くと、三階で服を買いまくり

一階のタピオカ屋さんで寛ぐのが定番だった。

しかし、いつから私はルミネエストの地上階で買い物をしなくなったのだろう。

気がつけば、地下のビューティーアンドユースやBEAMSでしか買い物をしなくなっていた。

地上階は若い子ばかりで、ダメになってしまった。

それは多分私が若い子ではなくなってしまったからなのだろう。

ルミネエストだけじゃない。

原宿も下北も、自分の存在が浮くような感じがするから、ダメになってしまった。

しかし、ルミネ1,2はまだ抵抗がある、FRAY I.Dのお姉さんは、怖いのだ。

 

 

自分で髪を切る「少女」の話

自分で髪を切るアウトローな少女がいる。

前髪だけならまだわかる。

後ろ髪まで自分で切ってしまうのだ。

流石にそんな思い切った事は私は、到底できないのだが、なんだかかっこいい。

自分で生きた証を、自分でバッサリと切り落とす。

髪の毛には歴史があり、魂が宿り、そしてそれを断ち切り、新しい日を迎える。

ちなみに「少女」は今年で27歳になる。

恋愛も、人生観も、まるで少女のようにキラキラと光っている。

彼氏とはすぐに別れるし、すぐに泣くし。

でも、私はそんな彼女の存在を美しいと感じているのだ。

だから私は敬意を込めて少女と呼びたい。

永遠なものの、永遠でいて欲しいものの例として。

 

 

言語で語る話

人間の言語というものは、エモーショナルに装飾できる無限の可能性を秘めている。

私たちは口調や態度で、言葉の力を何倍も強めることができる。

しかしそれは時として、敗北へと導くことになるのだろう。

エモーショナルな人間は時として、全く理性的に聞こえないし、説得力がないのだ。

私みたいな回りくどい人間は、これまで最果タヒ村上春樹を読んできた人間は。

新書や論文ばかりを読んできた頭の固いおじさんや

東野圭吾などの現代小説を軽く読んできた女の子にはね。

たとえおんなじことを言いたくてもね。

だから、「勝ちたい」時は言語そのもので勝負することに決めたのだ。

「やほ!体調だいじょうぶ??もしよかったらご飯行こうよ〜」

じゃなくてさ、

「ご飯に行こう」ってね。

 

 

醒めてみる夢の話

微睡ながら、私の夢はなんだろうと考えていた。

夢という、なんとも魅力的で、無秩序で、切ない存在。

私には夢がない事は、何度もこのブログで触れてきたと思う。

つまらない人間なので、最終的に何かしたいと強く願うことがない。

結婚も、出産も、自己実現も、特にどうでもいい。

そんな人生が大きく切り替わる選択肢に、私は責任を持ちたくないね。

でも、一つ最近夢ができた。

とてもやりたいこととして、それはZINEを作ることだった。

こういった、くだらないブログでもはしがきでも、なんでもいい。

そう言ったものを集めて、誰かに読んでもらいたい。小さな書店に置いてもらいたい。

私の人生というものが、誰かの太事に入るような、小さなサイズで収まればいい。

それが私の生きた証、誰かの小話になればいい。

 

 

 
 

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INORI

 

 

神秘的な体験について、書いておこうと思う。

 

 

先日、教会に足を運んだ。

 

これまで生きてきた中で、多分初めてだったと思う。

うーん、結婚式とかのチャペルは教会じゃないよ、として。

単純に、人が祈りを捧げる場としてのカトリックの教会に初めて足を運んだ。

 

私は何か特定の宗教を信仰しているわけではない。

日本人は無宗教だというが、そういうわけでもない。

神様や宗教を意識していないだけである。

宗教と通過儀礼が文化っていう形で人々の生活に深く定着してしまっているだけ。

そうじゃなきゃ初詣にみんな行かないし、おせちも食べないでしょ。

 

いわゆる仏教思想が、ある程度日本人の価値観に根差しているのだが、

残念ながら私はそれ以上に宗教を信仰しなくてもいいかなあと思っている。

 

ただキリスト教とかイスラム教とか、そういうものに「熱心な人」はすごく関心がある。

私は、神様を信じているわけではないが、

神様を信じている人を、私は信じたいと思う。

 

 

キリスト教とかは、大体祈りの際に懺悔がセットになっているけれど、それって不思議である。

私なんかは、神社に行って無責任に何もせず、神様に「お願い!」って勝手に祈りを捧げているだけだから。とても暴力的である。

 

その点、「懺悔」ってすごく不思議だ。

これまでの罪を懺悔することで消滅させる。未来のことじゃなくて、すでに過去のことなのだ。

過去のことを神に認めてもらう=自分が認めるということはとても大切だけど、ある意味それも暴力的だ。

神様は無償の愛で私たちの罪を聞き入れて、絶対に許してくれることを私たちは知っているからだ。

結構無責任だし、なんでもやっていいということになるじゃないか。

だから宗教が幅を聞かせている社会でも犯罪は無くならないんだろうなーと思っているが、どうなんだろうか。

 

 

まあここまでは前置きで。

 

足を運んだのは「東京カテドラル聖マリア大聖堂」だ。

その日は東京都心でも大粒の雪が降るような日で、教会に向かうのにもタクシーでなんとか、って感じだった。

 

この教会に関心を持ったのも、宗教がきっかけというより、建築が先だった。

法政大学の旧校舎が大好きで、モダニズム建築に関心を持って、建築を見ることが趣味になったから。

 

日本を代表する建築家である丹下健三によって設計され、1964年に完成した。

丹下は新宿パークタワーとか、フジテレビとか、国連大学とかの建築家なんだけど

この教会は、同年代に作られた代々木第一体育館にすごく似ている。

 

 

教会に足を踏み入れた瞬間、私は神に触れることはこういうことなのかと感じた。

 


 

入り口から少ししてすぐに始まる巨大な空間。

コンクリートで固められた空間。

なかなか古い建物なんだけれど、古さを全く感じないよね。

 

なんと表現したらいいかわからないんだけど

コンクリートが、神が、なんとか宇宙っていう巨大な闇と孤独からまもってくれているんじゃないか、って感じた。

コンクリートって、実はとても冷たいけど、とても暖かいのだ。

石灰って自然由来のものだし、冷たさや無骨さのなかに温もりを感じる。

 

一方で、その冷たさが宗教に対する厳かさを反芻させているようにも感じられた。

とにかく、この空気感は立ち入らないと全くわからないと思う。

とても美しく、暖かく、恐ろしいのだ。

それが神に触れる体験と、重なる感情だと私は感じた。

 

 

教会の中にはシスターが4人くらいと、数人が祈りを捧げていた。

広い空間の中で、それぞれが孤独を保ちながらも祈りを捧げていた。

やがて司教が祭壇に立ち、祈りの言葉を口に出した。

コンクリートはよく音を響かせるので、何を言っているか正確には聞き取れなかったけれど。

 

私たちも見様見真似で、祈りを捧げてみた。

何を考えればいいかわからなかったので、とにかく黙想をしてみた。

 

不思議な感覚だった、黙想は最近の趣味だから、うまくできた。

 

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でもなんだか、家での沈黙、脳死とは全く違う。

そわそわしない。

むしろ、そうしていることのほうが至極当然で、自然のように感じられたからだった。

 

多分10分くらいかなあ、祈りを捧げた。

 

 

なんだか私は泣きそうになってしまった。

辛い世の中で、誰もが孤独で、生きていくにはとてもしんどい。

誰もが不安と悩みを抱えて、それでもなんとか、立ち向かっていく世界。

 

私は、神と、大きな空と、宇宙を理解することで、人間を理解した。

抗えない存在を理解することで、それでもなんとか生きて行こうとする人間を理解したのだ。

 

誰かを愛し、許し、強く生きていくことを最近感じる機会が多い。

辛い世の中でも人を愛することは、とても美しい。

 

 

 

 

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空洞です

 

 

「Enter the void」なんですよね、実際。

 

友人の言葉、

 

 

空洞、ただそこに空っぽな自分が存在しているだけ

そんな感じがしている。

 

残酷に恋が終わっていく。

死、に向かって行っている。

そんな姿を目の当たりにして、春の訪れを感じている。

 

春っていうのは全ての生命が萌え盛る季節だけれど、すごく辛い。私。

これは毎年の話ね。

 

一気に冬が訪れるときのああさむい!っていう感じよりも、少しずつ太陽が地表を温めて、少しずつ土の中で生命が芽生えて、少しずつ心が蝕まれていく感じのなかで、だいたい私は死んでいる。

 

この季節は昔から体調とかメンタルを壊しやすい。

年末年始の大忙しの先に、出会いとか別れとかがやってきて、毎年何かが変わってしまう。

形が変わると、心がびっくりしちゃう、変化が多すぎて、バグる。

 

大学生活のなかでは春の変化って、それまでの人生に比べてクラス替えとかなかったから、わりと少なかったけど、

今年は様々なことが急速に変化したり、なくなっちゃったりするんだろうな。

 

 

それがとてもとても、寂しい。

寂しくてたまらない。

もうそこそこの大人になってきたので、人間関係や自分のメンタルを誰かのせいにしたり、それで自分を傷つけたりすることはだいぶ少なくなってきたとは思う。

 

だから、終わりゆくものに対して、何かあらがったりするのはもうやめようと思っている。

もうそれはどうしようもないことだから。

完全に、死んでしまったものを追いかける気も、ない。

 

 

ただ、ただ、ただ、空洞、Void。

寂しい、いつか忘れてしまう、ということが寂しい。

 

 

寂しくて寂しくて、忘れてしまうことに争うこともできないことを嘆いた。

泣いてしまった、実際。泣かずにいられなかった。

 

相手の目を見て、ずっとずっと私の目に焼き付けておきたいと最後までじっと目を見つめていた。

この上なく見つめていた。

美しい、大好きな目を見つめていた。

「美しい」と口に出していた、目を逸らした瞬間、恋が死んだ。

落下した、死という一直線。

 

そしてそれが二度と現れないこと、現れない瞬間であること

そしてこの一分一秒経過する中でもどんどん忘れて、風化してしまっていること、そうなるだろうという実感。

 

全ての時系列で、全ての空間で、あったであろう現実やなくなってしまう未来や、知る前の自分のことを想像して、やはり寂しくなってしまった。

 

辛くて自分がかわいそうだとか、そんなのはないし後悔は一ミリもしていない。

ていうか、わたしは一ミリも悪くないからだ。

一ミリも不幸だと思っていないからだ。

 

何故なら、恋は死んだけど愛は死んでいなかったからだ。

誰かの弱さや苦しみを含めて、全て愛で包んでしまった事実は変わらなかったからだ。

 

恋が欠落した、空洞の中で、行先を失った愛だけがぷかぷか

全力で人生にぶち当たって、それが普通にうまくいかなくて、

結果空洞に支配されているだけの空気人形だよっていうことがいいたい。

 

恋が欠落した、空洞の中で、行先を失った愛だけがぷかぷかと浮いている。

人生は素晴らしい。

 

 

 

ぼくの心をあなたは奪い去った

俺は空洞 でかい空洞

全て残らずあなたは奪い去った 俺は空洞 面白い

バカな子どもが ふざけて駆け抜ける

俺は空洞 でかい空洞

いいよ くぐりぬけてみな 穴の中

どうぞ 空洞

 

 

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忘れられないの

 

 

忘れることは生きること

なのかもしれない。

 

これは、半分諦めである。

本当は何も忘れたくないのだ。

 

思い出と忘却、そして永遠の存在についてずっとずっと考えている。

 

 

大学生活が終わる、そう言った実感がもう目の前まで来ている。

 

最近

「なんだかんだでたのしかったな」

と容易に片付けられるようになってきた。

 

大人になったのかもしれない、成長したのかもしれない

前に進む勇気を持ったのかもしれない。

 

でも、私は死なせたくない、忘れたくない。

私は、きらきらとした大切な感情を永遠にしたくてたまらなくて、辛いのだ。

なにか最高に光り輝くものを目の前にしたとき、この感動が未来永劫保管されることはないという切なさの呪いに取り憑かれている。

 

ああ、もう二度とこの瞬間が訪れないのか、

ということをひしひしと感じたとき、今の気持ちをそっと箱に閉じ込め、大切にいつまでも保管しておきたいと思ったのだ。

 

 

忘れてはならない、忘れたくない。

 

すごく寂しい、誰かの死とか、

閉店したカレー屋さんの味とか、買いたての新品の服の匂いとか、

もう終わってしまったものを取り戻せないことがとても寂しい。

 

永遠にしてしまいたい。

そうおもった、わたしはそれらを永遠にしたいと思ったのだ。

忘れてしまうのはとても悲しいから、辛いから。

 

そして、「永遠」はとても美しい。

永遠は、変わらない。

ずっとずうっと、過去で立って見守ってくれている。やすらぎと温もり。

 

そんな無い物ねだりのやさぐれの中で、寺山の言葉を目にした。

 

 

 

 

永遠、というのはつまり死なのかもしれない。
生命の、思考の、成長の死なのかもしれない。
 
永遠に触れていたいという願い、それはとても煌めいていて魅力的だ。
 
しかし、光り輝く命ではない。
太陽のような、熱い生へのエネルギーとは違うのだ。
 
忘れたくない、しかし、故意に忘れているわけではない。
忘れながらも、前を見据える。
別に何も私は非情で、ひとでなしなんてそんなひどい奴ではないんだって。
 
 

「人は思い出を忘れる事で生きていける。」

 

これはエヴァ破の、冒頭での碇ゲンドウの言葉。

思い出っていうか、その時の感情とかそういうのって、良い意味でも悪い意味でも風化してしまう。

 

思い出の原則が修正可能であるのならば、過去も現在も、未来の自分なんて全く信用できないのである。

 

別れた彼氏とか、仲が悪くなっちゃった友達とか、

旅行とか、美味しいコーヒーの味とか、好きな人の香りとか

全部忘れてしまう。

そして未来の自分に「思い出」として歪んだまま再生されてしまう。

 

でも人は、そうしていかないと前に進めないのだ。

過去に執着しているままでは、未来に道は広がっていかないから。

 

 

 
だから、忘れるというのはつまり生きることなのかもしれないと、そう考えた。

 

だが、決して忘れてはならないこともある。

ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。

私は、その確認をするためにここに来ている 

ゲンドウのセリフの続き。

 

忘れることは避けられない。

それは生きていく上で、どうしようもないことなのだ。

でもどうしても忘れたくないことがあるなら、忘れることの切なさを受け止めながら生きていくしかない。

 

ならば、できるだけ忠実に、写実的に、何かを記録していく

そしてその時の感情だとか、体温だとか、空の色とか大気の暖かさを思い出せるようにしておきたいと思ったのだ。

 

こうやってブログを書いているのも、そのためなのかもしれない。

いつか同じばかをしてしまったり、悲しみに打ちひしがれたときの道標。

忘れることが生きることなら、覚えていることも生きることの助けになると私は信じている。

 

 

夢みたいなこの日を

千年に一回ぐらいの日を

永遠にしたいこの日々を

そう今も思ってるよ

 

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GIRL'S GIRL

 

整形前夜 ノーマ・ジーンが泣きながら 兎の尻に挿すアスピリン

 

私はこの唄がとても好きだ。

整形前夜、私は全てが苦しくて不安になって風呂で溺れかけた。

誰かにそっと抱きしめてもらいたかった。

 

 

整形のことについて書いておこうと思う。

 

近年は美容整形の値段や、ハードルが下がったことで手術に踏み込む人が増えていると思う。

私もその一人だ。

 

コロナ禍で海外旅行に行けず、貯めに貯めた貯金は泣いていた。

こんなにも汗水垂らして、大学にもちゃんと行かずにバイトばかりしていたのに、

ただただ金だけが鎮座していた。

 

お金とは使えば消える一方で稼げばいくらでも稼げるものである。

お金自体はそこら辺に転がっている、大切ではあるがそれ自体は何の価値もない。

本質は、命にある、だからこそ大切だと思う。

いわゆる私たちは、命を燃やしながら、限りある人生を消耗しながら

お金を稼いでいる。

時給換算すれば、私たちの命は1時間あたりで取引される。

 

命を燃やして、お金を得て、そしてそのお金でまた生きながらえる。

そういうサイクルで人は生きていく。

でも、生きながらえるのに必要以上のお金を稼いでしまい、ただただ消耗した。

そして自粛生活と閉鎖された日々が始まった。

 

それでは、これから生きながらえるために、健康に生きていくための

自分なりの投資とは何なのか。

考えた結果が美容整形だった。

 

 

施術箇所は鼻だ。

鼻尖形成と、軟骨移植と、鷲鼻修正とプロテーゼを挿入した。

 

鼻の整形は周りでもやっている人が少ないのではないだろうか。

大学生がよくやる埋没とかヒアルロン酸なんかはもう格安でできるし、症例も多いし、何より修正可能だからプチ整形の範囲内である。

 

 

ダウンタイムも長いし、料金もかなりする鼻生計に踏み切った理由はただ一つ。

自分の鼻の形がずっとずっと、もう生まれついた時から気に入らなかったのだ。

自分というよりも、親がずっと気にしていた。

小さい頃に御茶ノ水の大学病院で検査を受けてみたりだとか、

鼻が高くなるマッサージをしろだとか、いろいろ言われてきた。

 

いろいろ言われると、コンプレックスになる。

自分で思っていなくても、考えてしまう。

小学生の時は好きだった男の子に鼻が割れているのがおかしいと笑われた。

中学では、夏以外はほとんどマスクをつけていた。

 

大学に入って、化粧を研究して、コンプレックスを何とか解消しようと思った。

けれど、それにも限界がある。

やはり、身体的な特徴というのを、メイクでごまかすには限界があるのだ。

そのうち気にしすぎて、口を開けて笑うことができなくなった。

人と話すときも口で顔を覆うようになった。

自分の写真を見ていると眠れなくなった。

 

 

今まで自分の顔に自信が持てたことがなかった、それがとても辛かった。

自分が望む「かわいい」とのギャップを埋めることができないストレス。

永遠に解消できないストレス。

努力と苦難の末に、決断した結果である。

 

 

本日で、整形手術を受けて一週間が経過した。

正直、本当にやって良かったと思っている。

 

手術当日から二日目まではとにかく腫れてしまって、本当にこれから可愛くなるのか不安でたまらなかった。

1日鏡で自分の顔を見て終わった日もあった。

四日目あたりから落ち着いてきて、抜糸をした今腫れはほとんど引いている。

 

何よりもうれしいのは自分の顔に満足をしているということである。

自己肯定感が低い上に、顔も大して可愛くない。

ていうか、顔がかわいいやつに自己肯定感が低い奴がいるのかはわからんが。

自分の顔を堂々とSNSにあげる女の子には、絶対に私の気持ちなんてわからない。

自分の顔を見て、不快にならないということがどれだけ、泣けてしまうほど感動的であるか。

 

私の顔は変わったのだが、他人から見たらそうでもないのかもしれない。

友達からはあまり違いがわからないと言われたし、そもそも整形してもしなくてもあなたのことが好きだと言ってくれた。

とてもうれしいのだが、結局は自己満足なのである。

 

 

今日親に「どうせ就職するのにこれ以上かわいくなっても意味がない」と言われた。

今日弟に「男にモテてどうするんだ」と言われた。

 

私は逆上した。本当に怒ってしまったのだ。

他人から評価される為、他人に不快な思いをさせないために可愛くなっているわけではない。

 

化粧をがんばったり、お洋服を買ってみたり、髪の毛を染めてみたり

お香を炊いてみたり、ネイルをしてみたり

 

そう言ったことは全て自分のためにやっているのである。

だから、もうこれ以上私を否定しないでくれと願った。

私の求める「かわいい」は絶対誰にも剥がせないし、剥がさせない。

 

 

私は私が認めた私を認めさせたい 何が悪い

 

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【DT1日目】 ・鼻根が鬼腫れる、骨いじるとやっぱ辛い ・腫れすぎて目頭に線が入る ・軟骨を採取した右耳が動くため、痛くてお粥しか食べれない ・喋ってたらブサイクすぎてお母さんに笑われる ・新幹線に似てるはさすがに褒めてる

 

【DT2日目】 ・おでこの腫れのピーク過ぎる ・否めないニュウドウカジカ感 ・さすがに風呂入りたい ・抗生物質のおかげでニキビ消滅 ワイ「私キレイ?」 おトット「ポマード!ポマード!ポマード!」

【DT3日目】 ・起床!突然の吐き気、油断してた ・ギプスを外す。鼻先高くて感動した死ぬ ・二重幅復活。涙袋戻らず。そろそろめ♡ん♡た♡るDA☆ZO☆ ・先生に整形したって言ったらめっちゃ驚かれる、スマンな

 

【DT4日目】 ・初めてメイクする!かわいい ・眼窩辺りの黄色味がえぐい ・ニキビ復活祭、お呼びでない

 

【DT5日目】 ・鼻根の浮腫が取れてスッキリする ・まぢ黄色い ・プロテで引き寄せられて多分左目の目の形変わった ・ニキビ潰れる

 

【DT6日目】 ・手術ぶりにお出かけ!世界は美しい! ・鼻先の痺れが少しづつ解消。プロテ入ってるなりに、鼻先がスッキリしてきた。嬉しい。 ・アザが気になる。黄味は少しづつ引いてるけど、青アザはもう少しかかりそう…スポッツカバーでも消えない

 

【DT7日目】 ・ついに抜糸!鼻くそ取れた最高 ・プロテが出てきた事で、目のホリが強調された。 ・アザもクマっぽくなってきたので消えるまであと少し
 
 

 

マイ・ロスト・シティー

 

カーステから流れるのはローランド・カークだった

言葉は生い茂りつつも意味を失っていく

 

カーステから流れるのは、ゆらゆら帝国だとか、高城晶平とかなんですけどね。

 

深夜一時、築地、銀座、有楽町、新宿、きらきらひかっていた街並みも夜の帳が下りれば皆黙る。

その中を時速80キロメートルの弾丸となり、通過していく時、とても私は輝いていた!

 

「AH!」って叫びながら!祝田橋!

 

わたしがえらぶさいきょうの邦ロックのプレイリストができたよ。

どこまででも車を飛ばそう。

車があればどこにだって行ける。

ググって出てくるとこならどこへだって行けるし、食べログ評価が低い店でも自分の足でいけばちょーおいしい。

 

だから、どこへでもいきたい、どこへでもいこうよ。

 

 

齢22。

メンヘラ廃業宣言をしたのはもう半年以上前。

散々「幸福論」だとか「丁寧な暮らし笑」を語ってきたこの備忘録

ぜんぶぜんぶうそでーす、ぜんぶぜんぶうそだっていうことを告白します。

 

もう散々大人になったって!

そう思ってました私も!

違いました!

ただの躁鬱ボーダー多動野郎でした。

 

人との交わりを恐れて、人に触れることで傷つくことを恐れて、そうやって人に媚びてるだけだったんですね。

 

この一年くらい、ずっとずっと仲のいい女友達とだけ話して、遊んで、そうやって大人になった気でいたけれど、私の境界に触れる人がいないってだけだったんだよね。

 

何も変わってなかったです。

 

私を傷つける奴は全員殺してやりたいもん。

私が幸せになれない世界の方が狂っている。

仕返ししてる時が一番楽しい。

 

 

 

ダンスをとめるな!ダンスをとめるな!

ダンスをとめるな!ダンスをとめるな!

 

 

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