「夜になると鮭は」
雨の降る夜に聴きたくなる曲を挙げるとすると、これを挙げたいと考えている。
妙なタイトルだなあと思ったのを、私は覚えている。
歌詞もよくわからない。
「フォスター冷凍」とか「A&W」とか「スマイリー・レストラン」なんてものは知らない。
初めて聞いたのは多分今年度の初めくらいかな。*1
「cero」というにアーティストに出会った。
所謂「シティポップ」(あんまりこういう言葉では括りたくないんだけど)のニューウェーブを引き連れて来た三人組。
たまたまspotifyの「シティポップおすすめ」プレイリストに流れて来たメロディを聴いて度肝を抜かれた。
模範解答がない、意味のわからないメロディとフレーズ。
意味がわからないのではなくて、私の頭が理解していないだけだった。
感性に訴えかけてくる何かを感じた。
音楽やってない人間が一丁前にいうのもアレなんだけど。
音楽は第一にメロディだ。
(ってデヴィッド・ボウイもそれっぽいこと言ってたから許してね)*2
ロジックなんてものは頭で考えるものだから、まず音っていうのが入ってこなきゃ頭で考える事すら不可能。億劫。
だからこそ、ありきたりなプレイリストの中に、意味不明な突然のフルートが聴こえた瞬間。衝撃だった。*3
メロディの次は、歌詞だ。
びっくりしたのが、「夜になると鮭は」はceroオリジナルの歌詞ではない。
元々は詩で、作者はレイモンド・カーヴァーという。
アメリカ、80年代の小説家もしくは詩人。
彼は日本ではかなりマイナーなのかな。詩に関してあまり詳しくないんだけれど、外国の詩人って難しいと思う。
限られた語数で、言葉の力を使って世界を作るんだから違う言語と文化を持つ我々にとってはかなり。
だからこそ、翻訳が重要だと思うのだけれど、翻訳がすごい。
言葉の力を最大限に発揮できる人物、翻訳家であり小説家である彼だよ、彼。
すごいよなあ、村上春樹。
私は村上春樹は2、3冊しか読んだことがないので全く語れはしないけど、村上春樹の文章などを読むと彼だな、と分かるくらいには文字に関して力を持っている人だと思う。
村上春樹の文章を楽しんでいるのか、カーヴァーの文章を楽しんでいるのか、原文を読んで比較しているわけではないのでわからない。
しかし、村上が翻訳したカーヴァーの作品はとっても素晴らしいなと感じた。
月並みな表現で申し訳ないんだけれど、美しく、素晴らしい。
派手な事件は起こらない。読む前と読んだ後の自分の変化に気づけもしないと思う。
ただ、そこには平穏の不思議な安心感が存在する。
そして、数日後(それは深夜のトイレだとか、お風呂だとか、天井だとかわからないけども)ふと彼の本を思い出して泣いてしまう。それは人間の生の真髄に迫るような体験だと思う。
カーヴァー本人の遍歴もまた面白いんだけど、割愛する。
作家も翻訳も、何よりマイナーなこれを発掘して、料理して世に送り出した若者もすごい。ceroの「夜になると鮭は」がなければ確実にこの体験はできなかった。
それぞれが素晴らしい。出会わせてくれありがとう。
雨が降る夜は少しだけドアを開けて雨の音とか匂いとか感じる。
たまに通る車の、水をはねる音を聞く。
小さい頃から何気なく行って来た事が、素晴らしく心地いい行為だと気がつく。
夜になると鮭は
夜になると鮭は
川を出て街にやってくる
フォスター冷凍とかA&Wとかスマイリー・レストランといった場所には
近寄らないように注意はするが
でもライト・アヴェニューの集合住宅のあたりまではやってくるので
ときどき夜明け前なんかには
彼らがドアノブを回したり
ケーブルTVの線にどすんとぶつかったりするのが聞こえる
僕らは眠らずに連中を待ち受け
裏の窓をあけっぱなしにして
水のはね音(スプラッシュ*4)が聞こえると呼んでみたりするのだが
やがてつまらない朝がやってくるのだ