わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

いちごパフェが止まらない

 

「私が好きな事」に「パフェを作る事」を追加したい。

 

パフェを作る事は、実は建築と似ている、

大抵の人はパフェを作った経験が無いだろう。

ソースやアイスやフルーツを乗せて、一段一段を作っていく作業は、まるで素敵な家を建てるかのように思われる。

 

アラザンのランプが灯り、玄関には花束のようないちごを飾ろう、理想的な家庭、理想的な暮らし、とても模範的な。

 

昔アルバイトで限定メニューのパフェを作った事を思い出した、アイスが解けないうちにテキパキとね、作ったんですよ、懐かしいな。

 

 

それはさておき、先日初めて資生堂パーラーに行ってきた。

ずっと行きたくて。

 

銀座に足を運ぶ機会は多かったけれど、銀座のパフェは他にいくらか食べに行ったことがあるけれど、資生堂パーラーだけは、なんだか私の中で別格だった。

 

理想的だ、11階建ての赤いビルヂング

お土産やさんに、パーラーに、レストラン、綺麗な層になっている。

 

 

そんな資生堂パーラーに「お友達」と一緒に行った。

Love&Mercy、お祝いと言っても、私が食べたかったという方が大きいんだけど、ね。

 

私はいちごのパフェを頼んだ、なんかねいちごの種類によって値段が千円くらい変わるんだけど、私のような馬鹿舌には違いがわからないだろうから、安い方にした、それでも2000円。

 

 

パフェって相場が高めだけど、それでも高い方だと思う。

 

ちゃんとコーンフレークとかでかさ増ししてないやつ、

ちゃんといちごが沢山乗っているやつ、

アイスが適度に緩くて、1番食べやすい温度になっているやつ。

 

パフェを待っている間に気がついたことがあった。

私のお友達は頭が良くて、マメで、まあちょっと、かなり抜けてはいる変人だ。

自分の考えは基本曲げない、関西人。

 

普通に出てくるおしぼりは、

普通に、たたみそうな人が、たたんでテーブルの隅に置きそうな人が、

おしぼりをぐちゃぐちゃにして置いていた。

 

「B型なん?」

『血液型占いは基本信じてないけど、なんで聞くん?』

「だって、おしぼりをぐちゃぐちゃにして置いておくなんて、私と同じ人種でしかないわ」

『そんなこと考えたことがなかった、気にしいやな。』

 

 

気にしい、ではない。

実際、おしぼりをぐちゃぐちゃに置いておくことでこれまでご指摘を受けたことがある、少なくとも数回はある。

 

女の子がおしぼりをぐちゃぐちゃに置いておくことははしたない、なぜおしぼりを畳まないのか?

そうか、気をつけよう、という過去。

 

なぜ日本人はおしぼりを畳んでしまうのだろう?

 

「お友達」曰く、むしろ1度使ったおしぼりはぐちゃぐちゃにしておいた方が「使いました」サインになるから、ウェイターさんが新しいのを持ってきてくれる、とのこと。

 

納得だ。

確かに、海外のテーブルマナーだと、乱れたナプキンは「ナプキンをたたむのを忘れてしまうほどおいしかった」というのを聞いたことがある。

 

日本人がおしぼりを畳んでしまう事、

畳まねばならない「おしぼり心理学」が気になって仕方がない。

ここ数年のモヤモヤが復活してしまった。

 

正直なところ「おしぼりを畳まない」わたしは非常に日本人的なので

「おしぼりを畳まなければいけない」という強迫観念に駆られてしまうのだが、

今回の事件でそうでも無い、ということに気がついてしまった、

ゴーイングマイウェイ。

 

ちなみに母にこの話をしてみたところ、母は必ずおしぼりを畳むそうだ。

基本的に外食や家族以外との食事が苦手な母は、おしぼりを畳んで気を紛らわすとのこと。

小学生が先生に怒られている時の手いじりと近い。

 

人はなぜおしぼりを畳むのか、一人一人に問い掛けたい。