わたしの内出血

頼むから静かにしてくれ

恋は永遠

 

サンタマリアのポプリ

イソップのマラケシュ

マルジェラのニット

無印の加湿器

ファイヤーキングのマグ

鍵はキーケースに入れない

シングストリート

 

好きな人の部屋を一生懸命思い出している、

私はどうしても再現したかった。

あの部屋の香りとか飲んだレモンサワーの味とか、ソファの座り心地とかクセだとか、なんとか。

 

恋というのは脳のバグである。

何度も思い出を反芻することで、脳が脳内麻薬に犯されていく、大脳新皮質の機能低下。

 

結局私たち類人猿は脳内麻薬の甘い誘惑に騙され続けている、と言うことを私は知っている。

この記憶だって、本当にあったことかすら怪しい。

 

世界は私だけのものだ、

仏教を知っても、煩悩を認識しても、まあそれでもいいかなと思えるようになったのはある種の人生の悟りに近い。

だから今日も楽しくストーカーをしている。

 

 

まあ何が言いたいかと言うと、社会人が始まって、4月が始まって半分が経とうとしているけれど私はなかなか元気にやっている。

所感、みたいなものを残しておきたいと思った次第だ。

 

というのも、私だけの極楽浄土を作り上げることがとても楽しいからだった。

今の会社に内定を頂いてから、半年以上かけて自分の理想の部屋というものを描き続けてきた。

 

緑が好きだから、全体的に緑のものにした。

あとは白木の家具が好きだから、家具はほとんど白いものを買い集めた。

費用はそんなにかかっていないと思う、家電も全て二流品だけどそこまでこだわりはない、白ければなんでもいい。

 

あとは、私は好きな人になりたい、そう言う人間だから、好きな人が所有していたものを集めることも一つの楽しみになっている。

 

 

仕事はと言うと、そもそも内定をもらってすぐにこの会社に決めた理由が住宅補助の手厚さだったからもう大満足である。

田舎に飛ばされ、徒歩5分圏内にコンビニはなければスーパーもない。

大手でなければ、業務の割に給料が高いわけもなく、将来性がある企業ともいえないが、私は満足している。

 

 

一人暮らしをしていると、社会というものはやはり人が支え合っているのだと実感させられる。

 

18時ぴったりにきてくれる、郵便配達の訛りのきいたおじさん。

自動レジの使い方を教えてくれるお姉さん。

いつも甘いものをくれる上司、素っ気ないがいつも見てくれている先輩。

 

当たり前だが、当たり前に気づけない自分がいた、そう言う自分に気がつくことができた。

 

正直働きたくはない、眠いし疲れるし。

でもそう言う人々に支えられてばかりじゃダメだと思うことの方が多い。

まだ研修期間だから、ほぼモラトリアムの延長のようなものである。

学生時代の一人暮らしのように、授業を終えて家事をして一人眠る夜の寂しさとはまた違うのだ、猶予というものを実感する。

 

社会人もなかなか悪くない、と言う所感。

まだ研修期間だから、ほぼモラトリアムの延長のようなものなのだが。

 

しかし寂しいのは自分が田舎者という実感である。

これまでシティーガールをやらせてもらってた身としては、週3で通っていた渋谷がとても騒がしく、華やかで、遠く感じられる。

キャリーケースを引っ張る私の姿はたいそう面白かったのだろう物珍しく見つめる人々よ。

 

そこのJKだっていつかは私の気持ちがわかるようになるさ。

東京っていうのはよそ者の街、

私がいなくなっても誰かが転がり続ける、

永遠の都市。

 

 

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1984

 

でも大丈夫だよ、わたしが大好きな人たちは優しい人で包まれるように祈ってるから  

 

ようこそ

2021年4月1日の世界へいらっしゃいました。

 

涙が出るほど切なくて、寂しくて、でも絶望でもないのはちゃんと大人に近づいている証拠だろう。

人間というのは、一生をかけて完全な死体になる。1日1日、じわりじわりと、死に向かって行く。

それは案外冷徹なものでも何でもなくて、ただ無なのかもしれない。そういうことを理解してからは死のうと思うことは辞めた。

 

 

駆け抜けていく最後の1年。

友達と「案外高校を卒業してから直ぐに働く方が幸せかもしれない」という話をした。

そうかもしれない。

 

モラトリアムなんかあるから働く事が、生きることが、日々の生活がとてつもなく陳腐のように感じられるのかもしれない。

 

たくさん映画を見た、本を読んだ、

そうそう3月いっぱい読んでいた1Q84をやっと読み終わった。美術館に行った、生活に不必需と思われる文化にたくさん触れてきた。そういったものこそが生き甲斐で、そういうものを愛せない人生は無意味と思っていたからだ。

 

しかし結局私を前に進めたのは人間関係のもつれと悩みと、愛だった。

 

独居を始めてから初めて、あれだけ嫌悪していた親の偉大さに気がつくし、働く事の必要性に駆り立てられる。

 

長い思春期を終えて、社会人になるという事を、やっと理解できるようになってきたと思う。

遠回りをしたが、意味の無いことなんてないし、特別なことなんて何も無い。

 

 

 

 

友達と最後にバイバイをした31日、やっぱり涙が止まらなかった。絶望じゃない、切なさ、学生が終わってしまうという不可逆的でどうしようも出来ない通過点。

 

私は、そういう通過点で誰かと交われたなら、それだけで生きている意味があると思った。

人々は孤独だ、永遠なんて存在しない、誰かと一体になることなんてありえない。そういう煩悩こそが人を苦しめる。

 

しかし、人生の中で誰かを愛する事が出来れば、それだけで生きる意味があると私は思う。

 

無償の愛。それは性別とか年齢とか国籍とか、関係がない、執着する必要は無い、私が好きな人は自信を持って好きな人だ。

 

それに気づくことが出来た、大学生活、祈りのようななにか優しいものとして、花向けの言葉としたい。

 

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Danny Boy

 

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

 

アドラー心理学の根底に流れるこの考えにとても共感する。最近。

 

私は元々、シュールレアリスム信者だし、

つまりシュールレアリストになりたかったし、

だから気持ち悪い文章の書き方をあえてしてみるんだし、

 

シュールレアリスム」とはつまり超現実である。

深層心理や形而上的な存在、夢や性癖といった領域を形にすることが求められる。

つまり、それは、フロイトの心理分析に大きく影響を受けた潮流であり、アドラーが否定するトラウマに立脚している。

 

私はそう言う人間の根底に流れるエロスに興奮せざるを得なかったので。

 

 

そういえば就職活動で「人生を変えた経験はなんですか」と正直に答えたことがある。

私はそのとき、「ダリの絵画を初めて見た高校三年生の秋」と答えた。

本当に人生を振り返ってみると、ダリ が私に与えた影響は大きかったと思う。

 

「夢」「卵」「蟻」「砂漠」「爆弾」「女」「時間」

様々な概念が溶け合う絵画の中で、「あ、私のことを言っている」と共感せざるを得なかったのだ。

聴いている歌に「私のこと歌ってる」って思ったり、知らなかった言葉を知った瞬間に、その言葉で世界が彩られる瞬間みたいに。

 

絶大な影響を与えた、多感な私に。

その後、ジョン・ケージに出会った。春には敬愛するヤン・シュヴァンクマイエルに出会った。

その後にジョージ・ハリスンを深く知ることになったし、フランシス・ベーコンの描く闇や、ベルトルッチストラーロが描く光に涙することになった。

クールベなんてクソ食らえ、そんな気持ちだった。

 

様々な文化人を見ていて、ぶつかった壁は、彼らの開放的な人間性と自己表現能力だった。彼らはアーティストだ、オノヨーコ曰く「与えるもの」は、世界に対して与え続けなくてはいけない。

 

正直、自由に生きる彼らが羨ましくてたまらなかった。

世間体なんて気にしない、自由な発想と行動。

お金や世俗的な肩書に立脚しない、シンプルな美学の真の美しさ。

対人関係における悩みは、彼ら、シュールレアリストをはじめとしたアーティストになかったように思われる。

ないことはないのだが、別の形に変えて…音楽や絵画やパフォーマンスに変えて、今を生きていた。

 

きっと一部には、自分のことを理解しすぎて、人間関係の悩みを、自己補完が超越したのだと思っている。

 

対人関係の悩みが多すぎて、自分との戦いに一通り決着がついて、私は彼らを羨ましいと遠くから眺めることがなくなった気がする。

シンプルに、表現が素晴らしい、という尊敬でしかない。

そう考えてみれば、気づくべきことに気がつくのが遅かったのかもしれない、楽に生きると言うことは対人関係における悩みを捨てると言うことだと。

アーティストのように自分の美学や生きる世界を大切にすることだと。

 

 

「悩んでる時間が後から考えればバカみたいだ」

と誰かが言ってくれた。

「好きなものは好きだ、嫌いなものは嫌い」

 と。

あまりにもストレートすぎて、バカなんじゃないかと昔の私は言うだろう。

けれど、あまりにもストレートでシンプルなことにすら今まで気がつくことができなかったのだ。

 

 

 

遅いことはない、早い方だ」

 

と誰かが言ってくれた。

「変化を受け入れて成長しようか」

 

と。

 

私はひっそりと泣いてしまった。

何も変わらないことなんてない。

私は私のことを好きなってもいい、嫌いだって言ってたあの頃を頑なに守ろうとしなくていい。一貫性なんて存在しない。成長することを、忘れてしまうことを、理解することを、誉めてくれた。

 

優しく頭を撫でてくれた。

なんだかその人の前では、あまりにも自分が子供のように思えてしまう。あまりにも、超越しすぎて。

 

この対人関係は悩みではないが、恋ではないが、これがしがらみや執着になろうとするときに私の、私との戦いがまた始まるのだろう。

その続きは、またいつか。

 

 

誰とでも寝るわけじゃない そう云って泣いた

 

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One Last Kiss

 

忘れることは生きること

なのかもしれない。

 

これは、半分諦めである。

本当は何も忘れたくないのだ。

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忘れたくない、という若々しい抵抗のことも、ついに私は理解してしまった。

大人になったのだと思う。

 

忘れたくないけれど、忘れてしまう、生きるために。

そして、忘れてしまうことは決して絶望ではない。

悲しみではない、酷なことではない、不誠実ではない。

 

 

三月になった。

春だった、春がきてしまった。

 

日々人の優しさに触れながら、諸行無常を痛感している。

もう二度と合わないだろう人、会いたくても会えない人。

会うと思っていても、会わないだろう人。

 

季節の変わり目や人生の節目は、そういった、宙ぶらりんの無責任の、人間関係の「縁」の糸がぷつりぷつり切れていく音を聴いている。

 

とても切ないのだ。

とても切ないのだが。私は留保しておく。

「今は 永遠 に好き」

「今は 永遠 に仲良し」

 

「永遠」という幻想に、死の煌めきに手を伸ばしつつも、忘却への未来に進んでいくことを理解している。

運命の相手なんて存在しないし、永遠の愛なんて存在しない。

 

 

仕方がないことだと言うことを理解している。

何も陳腐ではないのだ。「今」がそうなら、それでいいじゃない。

人間だからね、仕方がないのだ。

どうしようもできない運命に争うことはやめようと思う。

そしてふわり人生を漂流していきたい、私はそう思うようになったから、もう死にたいとかそう言うことも思わなくなるんだろうな、と思う。

 

人生を漂流していく中で、大木にしがみついてもそれがいつまでもつかわからない。

結局は自分を理解して、他人との境界を理解する必要があるのだと思った。

 

 

 

正直ね、エヴァをみるまでそう言うことも無理して理解しようとしてた。

「Beautiful World」に共感してた。

 

けど、みんなが気付いたら大人になっていたし、私も気がついたら14歳ではなかった。

誰も成長しないことなんてないんだね、シンジくん。

 

誰かを求めることは

即ち傷つくことだった 

 

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リンダ・リンダ

 

先ほど、ベッドの上で本を読んでいた。

 

韓国焼酎のロックを「キリスト教入門」の上に載せていた。

ほろ酔いの上、サガンを読んでいたら、なんとなくまぶたが重くなってしまって、思考が停止した。

眠ると言うよりも、停止するといった方が正しい。

 

ぽたぽたと出窓に落ちる水の音が、私を呼び覚ました、それはわくわくするものだった。雨音だった。

 

 

昔から、寒い季節に降る雨が好きだった。

それが夜ならなおさらいい。

温められた部屋からすこし窓を開けて、外気を取り込む。

雨音を聞きながら、外を眺めたり、音楽を聞いたり、本を読んでみたりする、そんな時間が好きだった。

 

あれほど待ち焦がれ、あれほど苦しいと予想していた2月はあっという間に過ぎ去って行った。

1月と3月の、あの、いき急ぐ感じがしない、2月。

完全なモラトリアムを、私は鳥肌が立つ程の快感と合わせて、恐れや暴力といったものを内包していると考えていたのだ。

 

大学4年の2月。

宙ぶらりんの自分を、周りを、東京をなんとかつなぎ止めておきたいと考えてフィルムカメラを購入した。

27枚、3:2のコンポジションの中に春を閉じ込めておきたい、そう考えたからだ。

 

2月28日、3月を迎え入れる前にすぐに現像をしに行った。

富士フイルム」の中に封印されし二月を、私は京葉線に揺られながら解放することになった。

そこには私が愛すべき人が、街が、そして愛されるべき私が、立って笑っていた。

 

 

写真を見返しながら、あっという間に過ぎ去った2月のことを思い出してみた。

様々な価値観に触れようと手を伸ばした期間だったと思う。

もちろん勉強や卒論が忙しかったのもあるけど、それを言い訳にしないくらい全力を尽くした。

 

愛について考えてみた。

他人のことを考えることは、自分について考えることだった。

自分を知ると言うことは世界とつながることだった。

つながった世界を理解したいと言う願いは、宗教世界や精神世界との邂逅となった。

 

恐ろしく、過ぎ去って行ったな、と私は思った。

台風のような一ヶ月だった。

2月、切なくあり愛おしくあり、もう二度と帰ってこない。

 

 

雨音でいっぱいの夜の空を眺めながら、私はふっと息を吐いてみた。

すると、私の息は白く3月の闇へと溶けて行った。

なんだか、少しほっとした。

 

それは、2月に手を伸ばした深淵と似ていたからである。

確かに2月は存在し、3月へと駆け抜けて行ったのである。

 

 

 

 

Tomorrow Never Knows

 


離人感。
そういったものを久しぶりに感じる事になった。

先日やりきれなくなってコンタックをODすることになったのだが、二日経っても体と心が乖離する感覚を味わっている。


離人感とは、つまり世界と自分の境界線が曖昧になる感覚である。
ドラえもんは3mm宙に浮いている」というけれど、まさにそういった感じで、「私」という意識だけがふわふわと浮いている感覚になる。

 

ビックカメラを歩いていても、スターバックスラテを作っていても、人と話していても、客体は私とは別に存在しているのだ。主観的な「私」は3mm浮いたところでぼんやりとした自我を保ちながら世界を眺めている。

 

 

私はこの感覚を知っている。

再びこの感覚を取り戻した、という実感がある。

 

私は高校生の時に体調を崩して以来、軽い躁鬱を繰り返しながら生きている。

実は今も気分が落ち込んでしまっている期間で、安易にODに至ってしまうなど自我の弱さが露呈しているのだが。(私のジョージに近付きたいという思いは至ってポジティブであるが)

 

最後に圧倒的に思考の深み(Underground)に落ちていったのは大学3年生の4月から6月頃だった。

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いつも大体落ち込んでしまう季節が春に集中しているので、躁鬱体質であるが本質は自律神経の失調のように思われる、というのが私の分析なのだが、私は大学三年生の地獄のような春に離人感を味わった。

 

それは、全て気分の落ち込みから引き起こされたものであった。もちろんODしたりとかもしてたけど、全く当たり前に普通に生活していてそういう思考の深みに陥り、そして自我が浮いていく感覚というのを味わったために、非常に辛い思いをすることになった。

 

今考えれば、頭がおかしかったんだと思う。

そう考えれば、今私はとてもポジティブな気がするな。

自分の生理を、思考を、悩みを投げ捨てず、心理学や文学や音楽や宗教という先人の知恵と思考を用いて理解しようとしている…。

 

「考えすぎだ」と切り捨てる人も多くいるが、

それは私にとって、とてつもない努力なのだ。

 

どうしようもならないことを考えることは無駄なように思われるが、それができないからこうやって生にしがみついているのだ。

考えることをやめた時、自分を理解することをやめた時、私の3mm浮いた自我はふらふらと何処かへ飛んでいってしまうようなそんな気がしている。

 

 

Turn off your mind, relax and float downstream
It is not dying, it is not dying

 心のスイッチをオフにして、下流へと漂ってみて

 それは死ぬことでは、ないんだよ

Lay down all thoughts, surrender to the void
It is shining, it is shining

 全ての思考に蓋をして、「空洞」に身を委ねてみて

 それは輝いて、輝いているんだよ

 

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精神世界に触れたくてコンタックODした話

 

初めてLSDを服用したとき、何もかもが吹き飛んだ。

あまりの幸福感で神が見えた。葉っぱの一枚一枚に神が見えた。

12時間で数百年分の経験をするみたいなもんさ。

僕は変わったし、あれを機に以前の僕には戻れなくなった。

         ジョージ・ハリスン 「ローリング・ストーン」誌512号

 

この言葉に感化されて、2年ぶりにODをした。

ジョージは精神世界に深く潜り込むということは、自分を知ること、神を知ることであるという。

神、といってもなんでもいい。イエスでもブッダでも、ジョージの場合はとりわけクリシュナだったが、この世界を司っている大きな宇宙そのものへの畏敬に近い。

 

 

なんだかこう書いていると、ひたすらに真面目に薬物乱用してるやつに見えるけど!

私はなんらかの精神障害を抱えているわけでないし(躁鬱体質ではあるが)

本当はただのイキリチキリ薬中なので暖かく見守ってね!

 

あと、お薬は用法用量守りましょう。

このブログはODを推奨するものではありません。ODダメ絶対。

 

 

これまでの薬遍歴↓

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①新コンタックせき止めW持続性

先ほども書いたけど、ジョージ・ハリスンに感化されちゃったので、今回は幻覚剤にチャレンジしたいと考えていた。つまり、LSDのような幻覚を見る体験がしたかったのだ。

しかし、LSDは70年代初頭に世界的に流行して以降、世界のあらゆる国で違法化されていて、もちろん日本も例外ではない。

 

コンタックを選んだ理由は、市販薬の中でも幻覚作用があるからだった。

デキストロメトルファン(以下、DXM。)が含まれており、LSDのような幻覚作用があると調べていて知った。

 

市販薬ODの王者として君臨するブロン錠(別名、白い悪魔はジヒドロコデインというモルヒネ系の成分が含まれているので、同じ咳止めと言っても、DXMとは成分と効果においてかなりの面が異なるのだ。

 

余談だけど、ブロンODは過去に経験しているけど、もう二度とやりたくないな…。

大麻とかと同じ成分だから、所謂ダウナー&抗うつって感じなんだけど、ふわふわと感情が浮いて鬱憤が無になる感じ。

そこまではいいんだけど、とにかく離脱症状がひどくて、汗と頭痛で夜眠れなかったのがしんどかったのでもうやらないと思う。

 

まあ!今回は手っ取り早くトリップしたかったわけだね!

 

 

②使用方法

コンタックは一箱24錠入りで、カプセルタイプ。

しかも中の粒が、速効性のある粉と後発的に効く粒で構成されているので、カプセルを一度分解し、粒をすりつぶす必要がある。

 

一錠につきDXM60mgなので、初心者は6錠から始めるそう。

私は過去にブロンや眠剤トリップを経験済みなので、初手から安定12錠で。

 

本当は粉をオブラートに包んで飲むのが正解なんだけど、オブラートって意外と高いし、200枚入りとかで「そんなにいらん…」と思ったので、ゼリーで流し込んだ、案の定不味かった。

死ぬほど苦い!オブラート買え!

 

 

③体験記

20:50 

 スタート。大体効果が現れるまで40~50分位かかると聞いていたので、他のブログでも書きながら待機。

 

21:30

 徐々に効果が現れてきたことを実感する。

 シンプルに手術して一ヶ月経たない鼻が痛くなる。

 

21:40

 効果がはっきりと自覚できるようになった。

 キングクリムゾンの「太陽と戦慄」を爆音で聞いていたんだけど、普通に頭おかしくなりそうだった。てか元からやばい音楽なので、普通に怖かった。

 

21:50 (1時間経過)

 今日までの課題をやっていないことに気がつき、急いで着手。

 するも頭が動かずうまくいかない。覚醒というよりかは、頭がグワングワンする感じ。といって幻覚でもない。

 

22:00

 脳が震えだす。頭が震えてガタガタしてた。自分ではどうにもできないくらいガタガタし出して怖かった!

 

22:15

 もう冷静に吐き気。シンプルに体調が悪い。

 適当に課題を投げ捨てた。吐き気が半端なく、頭痛はないけど体調不良すぎて早くも投薬を後悔し始める。

 

22:30

 このままではしんどいので友達と電話をし始める。

 至って普通だがシンプルに体調が悪いため、ベッドに寝転んでいた。

 

22:40

 眠気到来。体調の悪さはかなり減ってきた。薬のせいなのかなんなのかわからないけれど、眠たくてこのまま寝てしまいたかった。

 

22:50 (2時間経過)

 体がふわっと軽くなる。眠気も飛んでしまい、ただただベッドに横たわる感覚が心地いいと感じるようになる。

 

23:20 (2時間半経過)

 きた!!!

 

投薬から2時間半、やっと宇宙が回転し始めた。

これが、DXMの効果か、ということを知る。

というのも、目を開けていても普通に冷静に世界なのだが、目を閉じると自分の体が波打っていることがわかる。

 

まず、体全体が波のようにうねりだす。〜〜〜〜って感じ。

そのあと、そのうねりがメビウスの輪のように変化し、体がグルグルと回転し始める。

やがてメビウスの輪は内向きに回転し始める。私の場合、右向きに体が回転していく感じだった。

右向きに自分の体が落ち込んでいった後、体が地震のように再び揺れ始め、グラグラとしたあと、やがて通常の自分に戻っていった。

 

体感はどれくらいだったんだろう?そんなに長くない。

せいぜい10~20分くらいだったと思う。

 

この体験の後はゆっくり症状がひいていき、普通に戻った。

 

 

④感想とエピローグ

率直な意見

 ・幻覚体験としては意外と普通。

  意識がはっきりしてるけど、酔っ払ってる時みたいな体感。

  そもそも市販でやばいトリップができたら困り物である。

 ・気分は普通。虚無を無に変えたければブロンとかの方がいい。

 ・副作用。

  ブロンのような離脱はなかったけど、体調悪くなるから普通に嫌だ。

 ・コスパ悪い。1回分で1000円くらい。

 ・心なしか翌日の大便がお薬の匂いして死にたくなった。

 

結論、コンタックで宇宙にはいけません。

 

単純に好みだと思うけど、これならストゼロで人生ごまかす方がよっぽど体に悪いよな〜と思った。

精神世界と繋がるも何も、ぐるぐるしただけだし意識変化はないので、まあこんなもんか〜といったもの。

コンタックODが昨年の初頭非常に流行したけど、やっぱりチキリイキリメンヘラのためのお薬といった感じでしょう。

 

やはり私はマイスリーのような即効性があり後味スッキリタイプでデイトリップしたいですね。

病院にいきましょう。

 

【追記】

2020/2/19

翌日、仮眠状態で完全に廃人。頭痛いとかそういうのじゃないけどひたすらに眠たいんですけど…。

 

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